昭和二十二年四月に発足した新制出羽中学校は、旧出羽村役場と出羽小学校の旧講堂を教室に当てて発足したが、当時の生徒数は九五名であった。二十四年十一月、建坪一八〇坪の新校舎を建設、二十七年九月には平屋建一八坪の教室を増築した。一方荻島中学校は、はじめ生徒数八二名をもって荻島小学校内に開校されたが、二十五年三月独立校舎を建設した。やがて出羽・荻島両中学校の統合計画が進められた結果、新校舎敷地は神明下上樋に設定され、三十七年十一月から総工費五二〇〇万円、鉄筋三階建一部木造平屋建一五教室の校舎建設がはじめられた。三十八年七月竣功、西中学校と名付けられた。同時に出羽・荻島両中学校は廃校となり、同年八月に移転を完了、校舎落成祝賀会が盛大に挙行された。当時の生徒数は六〇四人一五学級であった。なお旧荻島中学校の跡地は、現在文教大学の校地となっている。ついで四十七年四月、富士中学校の開校により、生徒一一六名が学区変更のため同校に移転した。