越ヶ谷小学校

920~921 / 1164ページ

明治六年越ヶ谷宿の中央に越ヶ谷学校が開設された。同十一年瓦曾根村、同十四年に花田村が越ヶ谷学校に統合されたが、同十八年両村は蒲生と増林に分離した。二十二年大沢町と連合、共和学校を開設したが、越ヶ谷校舎は第一教室と呼ばれた。この間越ヶ谷学校校舎は、明治七年の越ヶ谷町火災の際に焼失したが、間もなく復旧、十七年三月には増築が行われ、さらに同年八月には同町内に分校を開設させていた。

 明治三十五年四月、新校舎を現在地に建設したが、同年九月大沢町と分離し、越ヶ谷尋常小学校と改称した。大正十一年組合立高等小学校の解消にともない高等科を同校に併置、越ヶ谷尋常高等小学校と称した。ついで昭和二十五年木造平屋建一二教室、同三十一年には木造二階建三教室ほか管理室などがそれぞれ増改築された。さらに三十八年には鉄筋三階建一二教室、四十年には同一五教室の新校舎が竣功、四十二年には四十年九月に竣功した福祉会館内へ移転した市立図書館跡を改造して科学館を設置した。また四十三年には鉄筋三階建九教室が増築されたが、四十五年東越谷小学校の開設により学区が変更され、一部生徒が同校に転出した。この間昭和二十四年には、火災によって教室一棟が焼失している。なお昭和四十三年度の生徒数は一三九五名であった。

越ヶ谷小学校(昭和33年頃)