土地改良事業の推移

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戦後の中川水系流域における土地改良事業の展開は、三つの過程に区切ることができる。その一は、戦時中から戦後にかけて国の至上命令に基づく食糧増産体制下での土地改良であり、その二は、農地改革後の自作農の生産基盤の強化を目的とした土地改良である。両者とも用排水の改良と圃場整備の二本立で、主として反当収量の増大を目指す事業であった。前者を行政主導型の事業とすれば、後者は創設自作農たちを推進主体とする事業である。その三は、高度成長経済の進展に伴う農業労働力の流出にともない、急速に普及した水稲機械化栽培に対応する土地改良事業で、内容的には農道拡幅と大型耕地区画の造成に特色があった。

 ところで、越谷市域における戦後の土地改良事業の推移をみると、戦中から戦後にかけての食糧増産政策に基づいて実施された蒲生土地改良区を除いては、土地改良法制定後の昭和三十年代前半に、用排水改良を重視した耕地区画整備事業として集中的に行われた。

 当時は土地改良事業の主体が府県営主導型から、国・府県・団体営の多層型展開へと再編成される段階であったが、越谷市域の場合はいずれも、昭和三十二年にかけて設立をみた土地改良区を事業主体とする団体営の事業であった。