土地改良と交換分合

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零細耕地の分散所有という日本農業の構造的欠陥は、越谷市域でも例外ではなかった。このため、市当局では昭和二十四年の土地改良法の施行以来、土地所有に根ざす農業生産上の隘路となっていた分散耕地の交換分合を促進し、農地改革後の自作農家を中心とする水稲生産力の向上につとめた。

 しかし、水利や通作条件のすぐれた耕地を所有する一部農家などの消極的態度と、それぞれの耕地条件の差に基づく微妙な利害関係の対立などもあって、交換分合の推進は困難をきわめた。そこで、市内の旧各町村当局は、交換分合の普及講演会や各種会合を開いて努力する一方、県当局もまた、土地改良ならびに交換分合のための貫徹促進大会を昭和二十五年八月に県立杉戸農業高校で開いたり、農地集団化の促進を阻む要因を把握するために世論調査を実施するなどの努力を重ねた。

 ところで、農地集団化のための交換分合の実施に関する世論調査結果を旧桜井村の例でみると、調査対象農家のすべてが交換分合に賛成しているが、そのためには耕地整理、農道修理、用排水路改修などをまず行なってから実施すべきである、とする条件付賛成が大多数を占め、農地集団化の容易でないことを示している。

第8表 桜井村の交換分合に関する与論調査結果
質問事項 回答数(人)
農地の調整 個人農地の集団化後に部落間の出入作整理 122
部落間の出入作整理後個人農地を集団化 258
わからない 55
農地の団地数 1団地に集めたい 58
2~3か所に集団化したい 303
4か所以上に集団化したい 44
わからない 30
耕地整理 現状のままで交換したい 73
耕地整理施工後に交換したい 308
わからない 54
農道改修 現状のままで交換したい 74
農道改修後に交換したい 293
わからない 68
用排水改修 現状のままで交換したい 107
用排水路改修後に交換したい 276
わからない 52

市史編さん室資料

 結局、このような事情もあって、交換分合事業の本格的展開は、土地改良事業の進展を待ってようやく昭和三十三年より始められることになった。当初、事業は順調な進展を示し、かなり好成績をあげることが予想されたが、昭和三十六年頃から都市化の影響が市域に強くおよびはじめ、農地転用件数はうなぎのぼりに増加していった。それとともに農民たちの交換分合事業に対する関心は急速に低下し、交換実績も激減を続けた。

 都市化の進展が農地交換分合事業を制約するようになったのは、営農意欲の低下はもちろんであるが、それ以上に農業生産力の差に都市的土地利用上の優劣の差が加わり、耕地の交換条件を一層複雑にしたためであった。市当局も、越谷市域をとりまく諸条件の変化から農地交換分合事業の限界を感じとり、昭和四十年度事業の終了をもって、八ヵ年にわたった事業に終止符を打った。

 その間、交換分合事業の対象となった市内の水田面積六九五ヘクタールのうち、実施されたものは一〇七・三ヘクタール(達成率一五%)に留まったが、それでも市当局の永年の努力に対し、昭和四十一年に農林省関東農政局長より表彰状が与えられた。このことからも、いかに交換分合事業が重要で、しかも困難を伴う仕事であったかをうかがい知ることができる。

第9表 土地改良法による農地等交換分合実績
地区 年度 指定面積(アール) 権利移動面積(アール) 移動率(%)
出羽 33 19,600 400 20,000 3,210 110 3,220 16.6
大相模 34 22,000 3,000 25,000 3,430 150 3,580 14.3
荻島 35 13,000 2,000 15,000 2,030 220 2,250 15.0
大袋 36 7,000 3,000 10,000 1,040 280 1,320 13.2
桜井 37~38 4,000 1,000 5,000 480 230 710 14.1
新方 39~40 3,900 1,100 5,000 540 100 640 12.8
69,500 10,500 80,000 10,730 1,090 11,820 14.8

注 増林地区,蒲生地区を除く,「越谷市農業委員会資料」