越谷地方をはじめ中川水系下流域の水田用水間題は二つの面で大きな変化が生じている。そのひとつは、水田裏作の消滅や田植機械の普及に伴う水稲早期栽培の一層の進展と取水期間の拡大である。とくに昭和四十七年頃からの田植機の急速な普及は、田植の時期を六月十日から約一ヵ月も早めた。末田須賀堰がかりの水田の場合、元圦閉鎖はこれまでどおり九月十日であるから、繰り上げ分だけ取水期間が拡大されたわけである。その結果、現在、越谷市内で六月十日植えを踏襲しているのは野菜の水田裏作が盛んな増林地区だけとなった。
もうひとつは、都市化―水田潰廃―に伴って農業用水が都市下水の稀釈水(うすめ水)に用途転換されたことである。本来、都市化が進行すればそれだけ用水の余剰が多くなるはずであるが、越谷市の水田農民の間には、田と水が別種の生産要素として明瞭に区分されていないため、田を売れば水利権も併せて売却したものと考えられてきた。この場合、土地改良区としても当然新しい所有者、つまり宅地や工場用地として水田を取得したものから水利費を徴収することになる。もっとも取得者たちは、水利費の徴収については排水路の利用費か汚水の補償費と考えている者が多いようである。
ところで、用水路とは下流に行くほど幅員が狭小になり、排水路の方は逆に拡幅されていくものである。これは途中の水田で順次取水灌漑され、排水路へ落水されていくからである。ところが水田の宅地化と工場用地化が進むと、用水路の水は下流になっても一向に減少しなくなる。こうして、大雨が降るとたちまち埋立地の水は用水路に流入して都市型洪水の原因となる。法政大学の三井嘉都夫氏(法政大学地理学集報、一九七六―五、頁一~一八)によれば、二〇〇ミリメートル以上の連続降雨があると地盤沈下と相俟って、これまでの越谷の水害史にみられない新しい水害の発生が予想されるという。
このため出羽地区のように、用水路の水を一五センチメートル口径のヒューム管で排水路に落とし、内水氾濫の防止と悪水浄化に役立て、また、こうすることによって、非農家からの水利費徴収に見合うサービスをしているところもみられる。結局、水田は消滅しても用水消費量は減少しないという水資源利用上の矛盾が、八条、四ヵ村、葛西等の都市化地域を支配する諸用水を、いまだに、ほぼ従前どおり取水させている理由となっている。
なお、兼業農家が増加し、手不足に原因する土曜、日曜の集中的用水使用やかけ流し灌漑による農業用水不足とこれに伴う水利慣行の変化などは、いまのところ越谷市内ではめだっていない。また、依託耕作や借地農の成立に伴う用水費負担上の間題や、農村の職業的ないし農家の階層的な多様化に基づく、部落水利施設の維持・管理上の問題等については、最近とりざたされているような変化、たとえば、前者については地主から耕作者への負担の肩替り、後者については業者への管理依託などはほとんど認められない。