農家戸数の減少と兼業化の進展

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次に、営農諸条件の悪化の中での農民の対応についてのべよう。

 まず農家戸数の変化をみると、二十五~三十五年ではほぼ一定ないし、やや増大している。三十五年からは減少に転じ、四十年までの五年間に三二〇戸、次の五年間に三八七戸減少し、この一〇年間で一七%減少している。これにより市全体としては、三十五年までは離農減少はさほど問題とならなかったが、三十五年以後顕著になっていることがわかる(第11表)。

第11表 農家戸数,農業労働力の推移
年次 農家戸数(戸) 農業労働力(人)
実数 5年間の増減 実数 5年間の増減
25 4,057 12,910
30 4,035 △ 22 12,858 △ 52
35 4,123 88 12,805 △ 53
40 3,803 △320 8,588 △4,317
45 3,416 △387 7,316 △1,272

 農業労働力については、二十五~三十五年においてはやや減少気味でも比較的一定していたといえるが、次の一〇年間は大きく減少し、三十五年よりの一〇年間で四三%減少した。つぎに第12表によって兼業化の推移を、まず専業農家からみてみると、昭和二十五年当時、農家総数に占める専業農家の割合は、七二%とその大半を占めていたが、三十五年には約四〇%とその半数を割り、四十年には二五・三%、四十五年には一七・五%に落ちこんでいる。一方主に農業で生計をたて、そのかたわら農業以外の副業を営む第一種兼業農家の比率は、二十五年に一七・三%、三十五年に三五・九%、四十年に四三・四%と増大したが、四十五年には三五・九%と逆に低下を示している。これに対し、主に農業以外で生計をたて、そのかたわら農業に従事する第二種兼業農家は、二十五年の一〇・四%から年々増大し、四十五年には四六・六%と、農家戸数の半数近くが第二種兼業農家に移行して、急速に増大する勢いをみせている。

第12表 専・兼業別推移( )内は総戸数に対する割合
年次 農家総数 専業農家 第1種兼業 第2種兼業
(戸) (戸) (戸) (戸)
25 4,057 2,932 701 424
(72.3) (17.3) (10.4)
35 4,123 1,644 1,431 998
(39.9) (35.9) (24.2)
40 3,803 962 1,653 1,189
(25.3) (43.4) (31.3)
45 3,116 597 1,226 1,593
(17.5) (35.9) (46.6)
農家の専・兼業別推移

 この間の規模別農家数(第13表)の増減をみると、二十五年から三十五年の一〇年間では、〇・五~一・五ヘクタール層が両極に分解し、一・五ヘクタール以上層は増大傾向がみられた。しかし、三十五年以後になると、一ヘクタール以上のほぼ全階層にわたって低落しており、そのうち一・〇~一・五ヘクタール層の減少が最も大きい。逆に〇・三~〇・五ヘクタール層はこの一〇年間一貫して増加している。しかし、この階層といえども、そこに滞留するというものではなく、そこから離農する農家よりもその階層に入る農家の方が多いという変動の中の増大である。三十五年から四十年では一・〇ヘクタール未満層は約一〇〇戸増大したが、次の五年間では、〇・五ヘクタール未満層が数としては変動がないといえる。耕地面積の八割近くが水田で、その大部分が湿田地帯である越谷農業にあっては、農業としての先の見透し、経営の規模拡大がおこなわれえたのは三十五年までで、三十五年以後、大規模化の動きはきえ、はじめの五年では一ヘクタール以上層が減少し、次の五年では〇・五ヘクタール以上層の減少が大きな流れとなった。これは前の五年では、専業からⅠ兼へと移行し、次の五年間にはⅠ兼からⅡ兼へが大きな流れとなっていることと対応するということができよう。もちろん、この間それぞれ、三〇〇戸以上の離農があることはみのがすことはできない。

第13表 規模別農家数およびその増減
年次 農家戸数 0.3ha未満 0.3~0.5 0.5~1.0 1.0~1.5 1.5~2.0 2.0~3.0 3.0~5.0
25 4,057 339 370 1,201 1,287 656 166 3
35 4,123 435 439 1,156 1,186 670 169 1
40 3,803 443 522 1,161 976 514 139
45 3,416 413 558 1,102 765 431 117 1
25~35 △ 66 △ 4 69 △ 45 △ 101 14 3 △ 2
35~40 △ 320 8 83 5 △ 210 △ 56 △ 30 △ 1
40~45 △ 387 △ 30 36 △ 59 △ 211 △ 83 △ 22 1

 このように、全体としては、越谷農民は、しだいに兼業化から離農へと農業から足を洗うようになってきているが、しかし、こうした中で多くの農民は農業に対する愛着を持ち、困難な営農条件の中で様々な努力をしてきたことも事実である。このことについては項をあらためてふれる。