戦後の日本経済

967~967 / 1164ページ

日本経済は、終戦直後の食べること、生きることで精一杯という耐乏生活から、朝鮮戦争を契機として経済的にも立直り、三十年以後いわゆる高度成長期に入っていった。この高度成長政策は、重化学工業を中心に、きわめて急テンポな工業の拡大がはかられた。これを工業指数からみると、昭和十年を一〇〇として、二十一年にはその三〇%にまで落込んだ工業生産は、三十四年には戦前同十年指数の四倍、二十一年指数の一三倍という飛躍的な発展を示し、その後も急上昇を続けた。このため日本の産業構造は質的な変革を遂げたのである。

 これにともない都市の拡大がもたらされたが、とりわけ太平洋岸の大都市では、産業と人口が集中し、工場進出や市街地化が進行してその近郊農村をまきこんでいった。越谷においても、昭和三十年頃から工場の進出がみられ、三十三年頃から急テンポで市街地化が進んでいった。この間にいわゆる〝神武景気〟〝高天原景気〟〝岩戸景気〟などの言葉が流行、高度成長期の日本経済が表現された。こうした日本経済の変革期にあって、越谷はどのような変貌をとげていったのか、まず工業からみてみるが、その前に高度成長期以前の越谷の工業を概観しておこう。