工業団地の造成

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このようにつぎつぎと工場進出がなされる中で、市当局は工場誘致を都市計画構想の線で推進すべく、三十九年に工業団地の造成を計画し、用地買収などの準備をすすめ、翌四十年七月には、この工業団地造成事業は具体的な軌道にのることになった。その内容について、新聞報道は〝越谷の工業団地今月から造成に着手〟として、

  越谷市の総合的な都市計画の一環として、同市開発公社が、総事業費六億円を投じて建設する工業団地造成事業は、いよいよ七月から二ヵ年計画で造成に着手することになった。すでに青写真も完成、同公社では近く工業用地分譲の申し込み資格条件、申し込み手続きなどの規則を定め、国・県・東京都内の事業所、商工会議所、日本工業立地センターなど対象に工業用地分譲の案内にのり出す。これが完成すると年間約一億五千万円の固定資産税の収入が見込まれる。構想によると、工業団地は新方地区弥十郎地帯を中心に千間堀の西側約三十三万平方メートルの田園地帯、すでに用地買収も市中銀行から三億六千万円を借り受けて、ほとんど完了、工事は十六号国道から団地をつなぐ道路と、橋の新設工事からスタートする。

として、工業団地の総面積は三四万余平方メートル、誘致する業種は窯業、金属製品、機械器具、電気機械器具の四業種、企業規模は一企業あたり一五五五平方メートルから一万五五〇〇平方メートル、一区画は三三〇〇平方メートルに区切り、誘致企業数は四〇工場前後、その総従業員数は約四〇〇〇人、このほか団地内の道路や排水溝など、細部にわたる計画を記したのち、分譲価格は「東京都の分差企業を狙って坪一万円前後で、企業者に喜ばれるような受け入れを考える。経済不況で一まつの不安もあるが、都心から二十五キロなので交通事情も便利で悲観していない」との市当局の談話をのせていた。

 しかしこの工業団地はその後、都心から三〇キロ圏内に工業団地の造成はできないという新しい首都圏整備計画法によって挫折した。このため越谷市では四十三年一月、造成中の工業団地を住宅団地に転換、改めて住宅団地の造成工事に着手した。

 こうした過程の中で越谷の都市開発事業は工業から市街地化とそれにともなう住宅基盤整備に重点をうつしてゆくことになった。