都市化と人口の変化

1005~1009 / 1164ページ

越谷市の都市化にともなう変化は、外見上のそれにとどまらない。激しい社会的変化のなかで、もっとも注目しなければならないのは人口の変化である。次に掲げた第33表と第34表は、年次別の人口動態と年次別世帯数の推移である。これによると、人口動態の推移では、昭和三十年を例にとると、越谷町の人口は全体で六三三人の増加である。この内訳は、出生一一三五人、死亡四七〇人、その差六六五人が自然増の人口である。これに対し、他の都道府県や市町村からの転入人口は一五七一人、同じく転出者は一六〇三人で、その差は三二人の減少を示している。つまりこの時点では、転入による社会増はみられなかったわけである。その後、三十二年以降ようやく社会増が漸増し、三十五年からは社会増が自然増を上まわるようになる。そして三十七年からは急激な社会増の現象があらわれる。すなわち、三十七年には二〇〇〇人台、三十八年には四〇〇〇人台、三十九年には六〇〇〇人台、四十年には八〇〇〇人台、四十一年からは実に一万人台の社会増が続き、四十七年には越谷市の人口は一七万人近くを数えるにいたった。まったく予想しなかった急激な人口の増加であった。

第33表 年次別人口動態
年次別 人口 自然増 社会増 増減合計
出生 死亡 差増 転入 転出 差増
昭和30年 46,838 1,135 470 665 1,571 1,603 -32 633
31  47,350 1,020 506 514 1,414 1,416 -2 512
32  47,897 1,001 539 462 1,734 1,649 85 547
33  48,595 1,010 431 579 1,789 1,670 119 698
34  49,281 1,045 461 584 1,869 1,767 102 686
35  50,466 928 431 497 2,565 1,877 688 1,185
36  51,906 952 438 514 3,499 2,573 926 1,440
37  54,701 977 466 511 4,554 2,270 2,284 2,795
38  60,353 1,171 410 761 7,213 2,322 4,891 5,652
39  67,988 1,548 420 1,128 9,659 3,152 6,507 7,635
40  77,883 1,877 529 1,348 12,379 3,832 8,547 9,895
41  89,488 1,699 367 1,332 15,276 5,003 10,273 11,605
42  102,240 2,939 440 2,499 16,187 5,934 10,253 12,752
43  115,517 3,232 490 2,742 17,241 6,706 10,535 13,277
44  128,390 3,580 570 3,010 18,338 8,475 9,863 12,873
45  142,700 4,120 643 3,477 21,172 10,339 10,833 14,310
46  156,330 4,556 668 3,888 21,301 11,559 9,742 13,630
47  169,827 4,764 663 4,101 22,756 13,360 9,396 13,497

(各年12月末日現在)

第34表 世帯数の推移
年次 世帯 一世帯当り人数
昭和30年 7,821 5.9
31  8,141 5.8
32  8,193 5.8
33  8,342 5.8
34  8,529 5.7
35  8,764 5.6
36  9,240 5.5
37  9,833 5.3
38  10,866 5.1
39  12,923 4.8
40  15,654 4.5
41  18,861 4.3
42  22,765 4.1
43  26,803 3.9
44  30,929 3.8
45  35,580 3.7
46  39,901 3.7
47  44,218 3.6
48  48,328 3.6

(各年4月1日現在)

 昭和三十三年、当時四万八〇〇〇人台であった越谷は市制を施行した。この時越谷市長は、昭和五十年には一〇万人に達することを予測して健全な都市計画を進めると語った。ところが、四十二年にはすでに一〇万人を突破してしまった。しかも、急激な人口増加は、その後も一向に停滞の気配をみせずにそのまま進行した。このため、越谷市はあらゆる面でひずみが生じ、その対策は後手にまわって山積する難問題に直面することになった。

 ともかく、転入人口の増大は、それだけ世帯数が増大したことを示すものであり、三十五年頃までは八〇〇〇戸台であった世帯数が、三十八年には一万台になり、四十二年に二万戸台、四十四年に三万戸台、四十七年には四万戸台に上昇し、五万戸台にせまっていた。こうした戸数の増加のうえで、大きな変化をみせたのは一世帯あたりの人口構成である。すなわち、昭和三十年には一世帯あたり平均五・九人、つまり約六人であったのが、四十七年には三・六人となっている。これは、大家族の農家人口によって構成されていた越谷市が、いわゆる核家族によって、とってかわられたことを意味している。田園都市越谷は、人口の質的変化によって内部からの大変革を迫られたのである。

 これら転入人口の前住地はおもにどこであったのであろうか。これを示したのが第35表である。すなわち、四十一年から四十七年までを通じ、最も多いのが東京からの転入である。この東京からの転入を全体のパーセンテージでみると、四十一年が六〇・三%、四十四年が五六%、四十六年が四九・五%、四十七年が四七・三%と、わずかながらその比率は減少傾向をみせている。しかし、その絶対数には変りはない。たとえば四十六年度の実数でこれを示すと、埼玉県内からの転入が三六二七人、以下、千葉県一一五四人、神奈川県九二四人、茨城県四一五人に対し、東京都からの転入は一万六〇五人となっている。

第35表 都道府県別転入比率
転入者前住地 41 44 46 47
総数 構成比
総数 構成比 総数 構成比 総数 構成比
東京 7,647 60.3 9,731 56.0 10,605 49.5 10,535 47.6
埼玉 1,836 14.5 2,520 14.5 3,627 16.9 4,191 18.9
千葉 656 5.2 872 5.0 1,154 5.4 1,207 5.5
神奈川 325 2.6 701 4.0 924 4.3 1,005 4.5
茨城 259 2.0 309 1.8 415 1.9 348 1.6
北海道 198 1.6 246 1.4 377 1.8 415 1.9
栃木 175 1.4 276 1.6 312 1.5 296 1.3
群馬 152 1.2 192 1.1 239 1.1 240 1.1
大阪 130 1.0 256 1.4 393 1.8 447 2.0
福島 109 0.9 154 0.9 286 1.3 273 1.2
福岡 109 0.9 119 0.7 147 0.7
新潟 106 0.8 152 0.9 254 1.2 217 1.0
愛知 71 0.6 124 0.7 238 1.1
岩手 70 0.6 182 0.8 202 0.9
山形 64 0.5 121 0.7 141 0.7
青森 62 0.5 191 0.9
宮城 152 0.9 207 1.0 198 0.9
静岡 143 0.8 147 0.7 152 0.7
その他の計 720 5.7 1,302 7.5 2,032 9.5 1,981 8.9
合計 12,689 17,370 21,442 22,136

 このように東京からの転入者が多いのは、地方から上京し都内に就職した若者たちが、その後、世帯形成期をむかえるようになると、手狭になったアパート生活を脱け出て、比較的地価水準の安い越谷等の県南都市に釣針型のターンをするようになるためである。

 この人たちの多くは、職場は変えないで住居だけを移すため、当然、通勤の少しでも便利なところを選ぶことになる。昭和五十年の越谷市への転入者たちの前住地が、足立区を中心とする城東地区(三五%)や下町地区(二〇%)をはじめとする、広い意味での「下町」に集中していることは、これをよく物語っている。

 反面、山手、城西両地区からの流入は少なく、過去一〇年間を合計すると、現在の市人口の二五%は下町から移転した人々によって占められている。いわば越谷市の都市化は、工業化の傾向と同様に、下町との強い結合のなかで今日まで進行してきたということができる。

 こうした転入人口と同時に、転出人口も相当数にのぼるが、参考までにこの転出先を四十七年の例でみると、埼玉県内の四三〇九人を筆頭に、東京都の三九三五人、千葉県の一一一六人、神奈川県の三三二人の順になっている。

 また、地区別の人口増加の推移を示すと、第36表のごとくである。これによると、三十年当時もっとも人口の多かった越ヶ谷が、四十八年には、蒲生、出羽、大袋についで四番目におちている。いずれにせよ、蒲生・出羽・大袋の人口増加は目をみはらせるものがある。ただし、これを一平方キロメートル当りの人口密度でみると、四十八年現在、もっとも密度の高いのが北越谷の八一六二人、越ヶ谷の七九五八人、大沢の五二五五人、桜井の三四〇六人、大袋の二九七六人、出羽の二九二五人、川柳の一九八一人、新方の一五四八人、大相模の一四〇九人、荻島の一一六二人という順序であり、全体では平均二八八九人となっている。

第36表 地区別年次別人口
年次別 昭和30年 昭和33年 昭和36年 昭和39年 昭和42年 昭和45年 昭和48年
地区名
桜井 3,286 3,403 3,428 4,019 5,760 9,935 18,423
新方 2,612 2,680 2,738 2,685 2,879 3,963 8,313
増林 5,008 5,054 5,093 5,352 6,971 9,527 11,859
大袋 4,032 4,138 4,556 5,521 8,662 13,985 19,433
荻島 3,457 3,468 3,427 3,537 4,673 6,745 8,214
出羽 3,955 4,010 4,296 5,516 8,485 14,546 20,915
蒲生 4,573 4,906 5,549 10,583 20,721 29,666 34,182
大相模 4,159 4,274 4,361 5,136 7,309 9,989 11,341
越ヶ谷 8,284 8,719 9,350 10,933 13,263 16,045 18,939
大沢 5,841 6,118 6,702 7,837 7,420 8,473 9,932
北越谷 4,077 6,022 7,101
川柳 1,278 1,293 1,518 2,619 2,991 4,002
45,207 48,048 50,793 62,637 92,839 131,887 172,555

(各年4月1日現在)