昭和四十三年十月九日の産経新聞に次のような記事が報道されていた。
地盤沈下が続いている越谷市平方で、農家が燃料にしている天然ガスが出なくなり、地元ではこれも地盤沈下のせいではないかと心配している。同市平方二一八、農業・森泉清左衛門さん(七六)方など四軒では、三十八年二月から共同井戸のなかにドラムかんをさかさにいれてガスをため、これをビニールパイプで台所に引き燃料にしていた。ところが、最近、相ついでガスがストップしたので、四軒ともやむを得ずこの〝ガス施設〟をこわしてしまった。この平方地区では四十年から地盤沈下が激しく、最大一六五ミリも沈下し、灌漑用水路の水が逆流して水田に水が流れなくなるなど被害が出ているが、森泉さんたちは、「ガスがとまったのもきっと地盤沈下の影響だ」といっている。
なお、この地盤沈下は県東部一帯に広がっており、同市など関係九市町村では、春日部市備後に建設された県営上水道の地下水汲み揚げによるものではないかとみて、調査をすすめる一方、取水を表流水に切り替えるよう県に働きかけている。
記事を引用するまでもなく、埼玉県南東部の地盤低下が人びとの話題にのぼり、行政課題として重視されるようになってすでに久しい。
ところで、衆知のとおり、越谷市内の地盤低下現象は、都市化による人口増加の後を追いかけるようにして急速に表面化していった。つまり、昭和四十年までは年間最大沈下量は平均五〇ミリメートル程度であったが、四十一年以降は年間三〇ミリメートル平均の低下量を累加させながら、上水用の地下水揚水量の増加に比例して四十八年までほぼ直線的に急増していった。その結果、増林の国道一六号線東側一帯の一二〇〇ミリメートルを核とする次頁の図のような沈下地帯が生じた。しかし、四十九年に県営上水道の水を利用するようになったため、越谷・松伏水道企業団の上水用の地下水揚水量も減少した結果、地盤沈下量もようやく大幅に減少するようになった。
地盤沈下の原因については、主たるものだけでも一、建築物等の荷重などによる収縮、二、交通、地震等の振動による収縮、三、地層の自然圧密、四、道路の舗装、家屋、建築物等の密集による雨水の浸透の減少等、種々の見解が提出されてきたがいずれも定説とならなかった。その後の研究の結果、地下水位と沈下速度の間に顕著な相関のあることがみいだされ、現在では地盤沈下の主たる原因は、地下水の過剰揚水によることが定説となっている。
地盤沈下のすじみちは、一、生産活動にともなって水需要の増加が地下水の揚水量の増加をもたらし、二、地下水揚水が地下水位(圧)の低下をひきおこし、三、水位(圧)の低下が地層の収縮をもたらし、四、地層の収縮が地表面の沈下を生ずるという因果にあるといわれる。
越谷市内の地盤沈下の被害としては、建物等に及ぼす被害と、水田に及ぼす被害とに大別することができる。たとえば、建物に及ぼす被害としては、基礎工事を行なっている建物が地表面との間に空間(県立越谷北高校で約五〇センチメートル程度)を生じ、建物から外部に接続されているガス・水道管等に亀裂を生じ、漏水を生じさせる例がある。また、排水用のU字溝なども建物との間の傾斜が変り、排水不能となる場合もみられる。あるいは校舎などを増築した場合新校舎との接合箇所に不等沈下のため亀裂を生ずることもある。
また、水田への被害としては、地盤不等沈下のため、以前からの排水傾斜が逆転して排水不能あるいは用水不足など耕作できなくなる被害を生じている。とくに市内を流れている葛西用水では、地盤沈下が原因のすべてではないにしろ、夏の揚水時期になると水位が上昇して堤防を越水することがある。そのために、毎年堤防の嵩上げ工事を行わなければならない状態におかれている。
なお、地下水揚水による地盤沈下ではないが、市内南部を横断している武蔵野東線は鉄道が高架になっているため、水田地帯と中小河川付近などの比較的地盤のゆるいところでは、盛土の自重、鉄道振動のために表浅部で圧密沈下を生じ、建物が傾くなどの被害がでている。
しかし、何よりも心配なことは、もともと元荒川と古利根川間の後背低湿地は皿状の低地となっているのに、さらにこれを地盤沈下によって低下させた場合、集中豪雨の被害がどんな型で現われるかという問題である。近年、ここには、水田を埋立てた住宅が乱立している。したがって、かつての水稲の冠湛水被害とは比較にならない災害の発生が懸念されてならない。