監修者 萩原龍夫
市史編さん室から窓外を見やると、元荒川の悠々とした流れがおのずと眼に入る。のどかないい眺めだなァ、これも越谷の誇の一つだなァと痛感する。
この悠々たる流れを見晴らしての編さん事業に満九年が経過した。その間、資料集も含めればほぼ一ヵ年に一冊刊行したことになり、いま最終巻の「通史下」が刊行されようとしている。思えばじつに充実した編さん活動の九ヵ年であった。
その監修者としてのわたくしはつくづく幸福であったと思う。民衆のいきいきとした活動を中心に据えた市史を編みたいという願いが、今ここに果たされたと自負することができる。
このことの達成に至る、至極恵まれた条件を少くとも五つは挙げることができる。一つは編集員・編さん室諸氏の相互の緊密なはげましあいである。毎月一回欠かさず研究会をもち、熱烈な討議を交わしてきた。その相互協力と討議とを通じて、理論的にも実証的にも叙述の質がどれほど高められ深められたかははかり知れない。二つには近代史料の豊富さである。ことに桜井・新方両地区の厖大な記録を掘りあてたことは絶大な恵みであった。三つには良質の近世史料の存在である。宿場記録や村方文書を市内の旧家や明大・慶大から採取し得た上、寺院記録・祭礼記録の細密なものも出て来て、近世社会をリアルに描くことができた。四つには中世文書の出現である。通史上巻の原稿が揃いかけるころ、中世の越谷を明示する本田文書がはじめて紹介されたのはまことに幸運だった。五つには、末筆になって恐縮だが、編集主任の竹内さんと編さん室長の本間さんとの抜群な働きである。史料の採訪と駆使の上に、通史叙述の上に、余人の追随を許さぬ活躍ぶりを発揮された。まことに大きな功績である。
終りに当り、つねに寛大にわれわれの作業を見守ってくださった市当局、編さん事業の舵取りを遂行された浅井委員長、夙くから郷土研究会を通じて啓蒙普及に努められた木村館長、そのほか多くのかたのご援助とご協力にあつく感謝の意を表するしだいである。
昭和五十二年三月