史料編の刊行にあたって

越谷市長島村慎市郎

この十数年来東京の近郊都市として人口の急激な増大をみてきた越谷市は、この間さまざまな問題をかかえながらも今日までその都市化への適切な対応に努めてまいりました。こうしたなかで、その街づくりの明確な指標を確立する必要に迫られてきたといえます。

越谷と同じ条件にある他市においても、その自然環境や立地条件、あるいは歴史的な成立過程その他の状況のもとで、商業都市・工業都市・田園都市・公園都市・観光都市・文化都市などを標榜して模索しつつも一歩一歩形を整えているというのが実情であります。

でもたとえこうした目標が確立されても、もっと重要なことは、住民がその地に誇りと愛着をもって定着することがよい街づくりにつながる根本的なことかと思われます。この住民としての誇りと愛着がひいては郷土愛につながると考えられますが、それにはまずその土地の事情に精通するとともに、歴史的な過程をよく知ることがなによりも必要なことと思われます。

この点越谷は城下町でもなくこれといった名所旧蹟もありませんが、越谷の人びとは古くからこの土地をこよなく愛し、喜怒哀楽をともにしながら、先祖代々子々孫々郷土越谷を守り育ててまいりました。いわば越谷は庶民による庶民のふるさとといえましょう。この間自然災害をはじめ用排水や農地をめぐるもろもろの論争、商品経済の浸透による生活様式の変化、貨幣経済優先による村内秩序の混乱、そして日清・日露や太平洋戦などへの戦時動員など、そのつど大きな困難に直面してきました。しかし越谷の人びとはその時代時代に対応し、運命共同体を生活信条に一致して苦難をのりこえ、越谷を唯一の郷土として必死に生きてきたのであります。

こうした郷土の歴史を展望することにより現在の越谷を再認識することが可能となりそれが将来への夢につらなると同時に、土地への一そうの誇りと愛着が芽生えるものと信じられます。

幸い越谷には昔を知るうえで必要な数多くの歴史史料が残されておりまして、すでに全六冊の『越谷市史』が上梓されましたが、越谷市史に収められなかった重要な史料がまだ多数にのぼっております。越谷市史編さん室ではこれら未公開の史料を逐次刊行する計画でありますが、その第一巻が今回発刊をみました西方村(現相模町)の『旧記』です。どうかこれら誇りうる文化遺産ともいえる史料を多くの人びとが、あらゆる面で活用されて郷土越谷の独特な文化の創造に精進されることを心から期待いたします。

昭和五十六年三月