○ 享保元申年
(朱書)
「車引、馬追、渡舟右之類ニて人を殺候類、以後
は急度流罪又は可行重科御触」
車を引馬を追ひ重き物を持ち候もの共、馬車を引か
け、持ち候物を取落し、又ハ渡し船に人を乗せ其舟
かへりて人を殺し候類はあやまちより出来候事にて、
故ありて殺し候とて同しからす候につき、只今迄は
罪科にも行はれす候、然るに近来此等の類度〻に及
ひ候事は、下賤之輩其つゝしみなき故と相見へ候、
然らはすへて其罪なくともいふへからす、自今以後
此等之類たとへあやまちより出来候て人を殺し候と
も、一切に流罪に行はれる之躰によりて猶又重科に
も行はるへき者也、申四月右之通被仰出候間、道中
筋宿〻ハ不及申、間〻村〻迄も右御書付之趣急度相
守、不念無之様ニ可相心得者也
申四月 伊 勢
石 見
正徳六申年改元