山 明和六丑年
(朱書)
「浪人抔合力止宿等ねたり候ハゝ、穢多非人ニ為
召捕可訴出御触書」
近年浪人抔と申村〻百姓家江参り合力を乞、少分之
合力銭なと遣候得は悪口いたし、或は一宿ヲ乞泊り
病気抔と申四五日も致逗留候内ニハ、品〻難題を申
懸ケ合力銭余慶ニねたり取候段粗相聞不届ケ至候、
以来右躰之者罷越候ハゝ其辺之穢多非人為召捕、早
〻公事方御勘定奉行江可致注進、何様申候共決て止
宿抔不為致、苗字帯刀いたし候者ニハ一銭之合力も
致間敷候、若相背候ハゝ可為曲事者也
右之趣相守触書写取村はつれ幷村役人共之居宅なと
へ張置可申候
九月
右御書付之趣承知奉畏候依之御請印形差上申候以上
丑ノ十月
追て別紙御書付写相廻候間、村役人令請印可相廻候、
尤寺社領除地等有之候ハゝ、其訳ケ書入可致請印候
以上
別紙御書付之通可相触旨被仰渡候間、御書付写相廻
し候条得其意急度可相守候、則請印帳壱冊相添候て
廻し候間、名主致請印刻付を以早〻相廻し、留り村
ゟ我等役所江可相返候以上
丑十一月十一日 遠藤兵右衛門役所
村 〻