藤 天明四辰年
(朱書)
「時疫其外雑食之毒ニあたり候節、薬法為御救御
触」
時疫はやり候節此薬を用て其顕をのかるべし
一時疫には大つふなるくろ豆をよくいりて壱合かんそ
う、壱匁水にてせんじ出し時〻のみてよし、右医渥
にいつる
一時疫にはみやうかね葉をつき、くろきしるを取おゝ
くのみてよし、右時後持急方ニ出る
一時疫にはごぼうをつきくろしるを取しぼり、ちやわ
ん半分ツゝ二度のみて其上彼の葉を一にきりほと火
ニてよくあふり、き色ニ成る時茶碗ニ水四はい入、
二はいニせんして一度のみてよくあせをかきてよし、
若くわはのおくばゑたにてもよし、右孫真人食善に
出ル
一一切のしよく物ニあたるくるしむに、大麦のこをこ
うはしくいりて、さゆにて度〻用吉、右本草綱目に
出ル
一時疫にてねつ殊之外つよく、きちかへのことくさわ
きてくるしむニハ、はしやうねをつきくたき汁をし
ぼり呑よし、右時後持急方出ル
一一切しよく物のとくにあたりたる、又いろ/\そう
もくきのこらをとり、けたものゝことくにてわつろ
うにもちいてその死をのかるべし
一一切之しよく物ニ、とくにあたりくるしむにハ、い
りたるしをゝなめ、又ハぬるまゆニかきたてのみて
よし
但草木の葉をくいてとくに当りたるにハいよ/\
よし、右農政全書ニ出ス
一一切のしよく物のとくにあたりてむねくるしく、は
らはりいたむにハ苔参を水ニて能よくせんしのみ、
しよくをはきいたしてよし、右同断
一一切のしよく物にあたりくちはなゟち出て、もたへ
くるしむにハ、ねきをきざみて壱合水ニてせんしひ
やし置て何度も呑べし、血出やむ迄用吉、右淵生易
簡に出ル
一一切喰物のとくに当りわつろうに、大つふなるくろ
豆を水ニてせんしいくとももちへてよし、うをにあ
たりたるにハいよ/\よし
一一切のしよく物のとくに当りわつらうにハ、あかあ
つきくろやきをこにして、はまくりかいに一ツほと
つゝ水ニて用ゆべし、けた物のとくに当りたるにハ
弥〻吉、右千金方出ル
一きのこくいてあてられたるに、ゑんとうのくき葉共
ニなまニてかみけを呑て吉、右夷賢志ニ出ル
右之業法凶年之節、辺土之もの雑食之毒に当り、又
凶年之後必役病流行事あり、為其ニ心やすき方をえ
らむへきむね被仰付諸書之内ゟ致吟味出也
享保十八辛丑年 望月三莫
丹羽正伯
右は享保十八年飢饉之後時疫致流行候処、町奉行江
板行被仰付御料所村〻江被下置候写
右は当時村〻疫病致流行、又は軽キもの共雑食之毒
に当り相煩難儀致候趣相聞候処、前書享保十八年村
〻江被下置候御薬法書付之儀、年久敷事故村〻ニて
致違失候義も可有之候ニ付、此度為御救右之写村〻
江為触知候様被仰渡候ニ付、御料所村〻之分銘〻支
配所江不洩様可被相触候
辰五月
右御書付写壱通相廻候間得其意、廻状早〻順達留り
村ゟ可相返者也
辰五月七日 布施弥市郎役所