西 寛政二戌年
(朱書)
「朝鮮人参以来は、作殖幷売買共可為勝手次第御
触」
朝鮮人参之儀払底之品ニて高直成故、軽キ者及大病
候ても容易用候事難成儀ニ付、享保年中ゟ朝鮮種を
以人参作殖之儀御世話有之候処、次第ニ増長致し当
時は諸国ニて作覚世上差支も無之趣ニ候間、公儀ゟ
作殖被仰付候儀以来被差止、割法所ニて弘売相止候、
是迄は朝鮮種人参作候儀無謂候てハ不相成候処、以
来は作殖候義ハ勿論売買共可為勝手次第候
右之通可被相触候
十二月
別紙之通御書付出候付相触候条得其意写取、村下令
請印無遅滞早〻順達、留り村ゟ廻状別紙共可相返し
候以上
亥二月廿六日 蓑笠之助役所