西 寛政三亥年
(朱書)
「諸国廻船入込候船之分、湊口番所ニおいて明和
二ゟ石銭取立候処以来相止候趣御触」
長崎湊通船之ため川口浚為入用、諸国之廻船幷近浦
より入込候船之分湊口番所におゐて石銭取立候段、
明和二酉年相触候処、石銭差支候ニ付ては出入之船
ニ難儀之趣相聞候間、此度石銭取立候儀相止候、以
来は石銭差出不及可致通船候
右之趣御料ハ御代官私領は領主地頭ゟ可触知もの也
正月
右之通可相触候
別紙之通御書付出候ニ付相触候条得其意写取、村下
令請印無遅滞早〻順達、留り村ゟ廻状別紙共可相返
候以上
亥二月廿六日 蓑笠之助
役 所