享和二戌年

冨士講杯と唱へ俗人ニて祈禱仕間敷御触

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  ●享和二戌年

   (朱書)

  「冨士講杯と唱へ俗人ニて祈禱仕間敷御触」

 武州児玉郡・秩父郡・大里郡・榛沢郡辺ニて冨士講

 と唱、俗人共相集祈禱なといたし候もの多有之由相

 聞候、右躰之もの有之候得は急度吟味之上御咎被仰

 付候儀ニ付、決て携間敷旨其村〻小前不洩様厳敷申

 渡、若心得違右躰之儀いたし候もの有之候ハゝ早〻

 可訴出、不時ニ手代手附相廻し穿鑿いたし候間等閑

 ニいたし置跡ニて顕候共、当人は勿論村役人迄一同

 越度申付候条可得其意候

  戌七月

 右之通被仰渡奉畏候、得と相糺右躰之もの有之候ハ

 ゝ早〻御訴可申上、等閑ニいたし置候ハゝ村役人一

 同何様之御咎ニも可被仰付候、御請印形奉差上候以

 上

  戌七月  御支配御役所

              何村小前連印

 冨士講と唱へ、俗人共相集祈禱杯いたし候もの之儀

 ニ付、奉行所ゟ被仰渡有之候間、別紙受書之趣令承

 知、名主年寄百姓代致請印昼夜ニ不限相廻し、留村

 ゟ飛脚を以早〻役所江可相返者也

  戌七月朔日