選挙法の改正
近く参議院議員の選挙が行われる。間もなく熱気をおびた選挙戦が町中にくりひろげられ、国政参加への機会として人びとの関心がかりたてられようとしている。
ところで現在の選挙制度は昔からのものではなく戦後の所産である。もっとも大正十四年普通選挙法が公布され、直接国税納入者だけに与られていた選挙権は、納税に関係なく一般成人男子に与えられた。しかしこのときは、婦人の参政権は認められなかったばかりか、政府をはじめ行政諸機関の選挙干渉で、自由な選挙はいちじるしく制約されていた。
やがて戦後の昭和二十年十月、連合軍総司令部の民主化指令に基づき、選挙法の改正も行われ、まず婦人の参政権が認められた。ついで二十一年九月府・県・市・町・村制の改正が公布され、住民の直接選挙の範囲は、従来任命制であった都道府県及び市町村の首長にまで拡大された。同時に行政機関が行っていた選挙の管理は、行政機関から切り離されて、選挙管理委員会が行うことに定められた。続いて二十二年二月、貴族院が廃止され、これに代って参議院議員選挙法が制定公布された。こうして同年四月、都道府県市町村の首長及び議員、参議院、衆議院の議員第一回総選挙が一せいに施行された。
しかし新選挙法に基づく、はじめての選挙であっただけに、その選挙方法その他で婦人をはじめ多くの住民は戸惑いを感じていたのが実情である。この間、新方村(現越谷市新方地区)などの役場では、「選挙早わかり」という回覧板を村民に配布し、選挙に対する啓蒙宣伝に努めていた。そこで新方村の回覧板によって当時の選挙の一端をみてみよう。まず第一報として、
今迄は原則として町村長が選挙一切の事務を行ってきたのでありますが、御承知の通り、今度の町村制の大改正により、新しく選挙管理委員会というものが出来、この会によって一切の選挙の事務を行うことになったのです。(中略)あらゆる選挙の事は右の管理委員会で行い、したがって今迄町村長が行ってきた選挙長あるはい投票管理者、開票管理者という方も、今度管理委員がきめることになりました。
とあり、選挙事務における管理委員会の性格やその役割などを報じていた。
またこのときは、戦時中の協力母体となった部落会・町内会の廃止や、戦争協力者の公職からの追放が行われたこと、従来からの部落会単位の投票区が地域割に改められたこと、議員などの立候補者は公職の資格審査を必要とすることなど、細部にわたってこれを報じることも忘れなかった。
ついで選挙日については「四月五日は知事と市町村長、四月十五日右の決定投票(いわゆる決戦投票)、四月二十日は参議員、四月二十五日は衆議院、四月三十日は県会議員と市町村会議員」の選挙日であると、その日程を報じていたが、さながら選挙ラッシュというにふさわしく、ことに四名の委員と四名の補充員によって構成された選挙委員会は、多忙をきわめていたようである。