新方村の選挙広報(その二)

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ライアン中佐のメッセージ

 さらに新方村「選挙早わかり」の回覧板では、「こんどの選挙は、連合軍総司令部の声明にもある通り、来月行われる選挙はまったく国家再建の成否をかける重大な選挙であります。しかも私達有権者が投ずる一票の結果が、直ちに清新明朗な民主主義的政治の基盤をなすことを思へば、一票たりともゆるがせにできません。忙がしい時ですが何事をさしおいても投票いたしませう」と、盛んに棄権の防止を呼びかけていた。

 やがて四月五日、知事と市町村長の選挙が施行されたが、新方村の投票率は七八%に及んだ。このうち民選によるはじめての埼玉県知事は西村実造が選ばれた。ついで四月二十日の参議院議員選挙では、新方村の投票率は六二%に止まったが、これは候補者の知名度が低かったことによるものであろう。この時は社会党が全国で四七議席を獲得、自由党の三八議席を大きく上まわって第一党になった。

 続いて四月二十五日の衆議院議員選挙が近づいたが、新方村では〝キケンは恥〟という見出しで、以下のくだりをもって懸命に棄権の防止を訴えていた。「いよいよ三回目、衆議院議員の選挙が明後日に迫りました。すでに回覧板で投票率を申し上げました通り比較的私の村の投票は平均、好成績であります。これも皆さん方の深いご理解とご熱意のタマモノと共に、選挙当日に於ける組長さん方のご尽力によるものと厚くお礼申し上げます。進駐軍からは選挙に対しては、本当に涙のでるようなゲキレイの言葉を受けております。どうぞあと二回、投票をすませて明るい心、一段とご尽力をお願い致します」。

 この回覧板にあるごとく、選挙に対して「本当に涙のでるような」強い関心を示していたのは政府当局者よりむしろ進駐軍であったようである。ことに埼玉県軍政部司令官ライアン中佐は埼玉県婦人有権者の低い投票率に対し、はげしい語調のメッセージをよせているが、そのなかでライアン中佐は次のごとく語っている。「一九四七年四月五日の選挙では、百人の男子中八一人が投票したのに、婦人ではその百人中六二人だけがその投票権を行使したと分明した。婦人有権者の棄権率が高かったのが影響して埼玉県全体の成績は有権者百人中七一人のみが実際にその義務を果したということになった。

 これは情ない事態と申さねばならぬ。数百年来日本の婦人は選挙権からのけものにされていた。今や局面は一変し自分の国の政治に積極的にはたらき、重要な役目を演ずる機会が与えられたのに彼等は依然無関心でその権利を行使せぬのである。日常の必要物資を家族に供しようとする毎日の辛苦、配給の行列に伍する永い間の煩労、食料や衣料の極普通のものさえ不足している。その間の忍耐、これらは何人にも切実に判っている。あなた方のかかる重荷を軽くすることが充分に出来る選挙、それにあなた方が参加せぬ理由は、実に理解に苦しまざるを得ぬのである。

 これには沢山の弁解があるでしょう。あなた方は実に多忙である。あなた方は気苦労が多過ぎる位である。子等たちの面倒で一杯である等々。」

埼玉県軍政部司令部とライアン中佐夫妻