桃林の散策

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 前に記したように、江戸の小日向の一向宗寺院のご隠居たる釈大浄(津田氏)は、文化から文政にかけて、江戸近郊をしきりと歩き廻ったのだが、文化元年(一八〇四〉五月と同十四年三月との二回、越谷在の大相模村から築比地村(現北葛飾郡松伏町)へと歩き、桃の林が美しいのに感嘆している。

 この辺は、古利根川の川岸であって、道すがら田あり畑あり、村あり川あり、「片鄙(へんぴ)の風土また一品有て、風景自然に面白し」とかれは激賞する。

 しかもこの辺では、田に蓮根とくわいを多く栽培し、おいしいくわいの煮つけを串ざしにして、往来の人に売っている。あたり一面桃林になっていて、二月のなかばはその花盛りである。

 この桃林について、かれはさらに重要なことを土地の人から聴き取っている。それは花ばかりでなく、桃の実がこの辺の大事な産物だという点である。

 五月下旬になると、この辺の人々は桃の木から葉をすっかり落としてしまい、実が日光で自然に赤らむようにする。人手のかかること梅の比でない。その盛りの時季は花盛りよりも美しいくらいである。

 こうしてとれる桃の実を、江戸の伝馬町の天王祭りに売り出すのであり、それは江戸市中としても桃の走りであって、季節の果物の一つとなっている。

 なお、大浄の見識によると、世間では往々「草蒸し」といって、桃を苅り草の中に一日か二日深く包みこんで色付けをするものと言われているのだが、越谷の桃に関する限りはそれは誤りで、木になったまま太陽の光をうけて自然の赤さを増すのであるという。

 この大相模から築比地にかけての一帯は、川沿の風光がすばらしく、逍遙(しようよう)するのに理想的であり、道ばたの茶店、酒店で憩うこともできるし、日暮れれば川べりの民家に一泊することができる。

 ただ、雨のふり続く季節は、あぜみちがすべってあぶないからよした方がよい。「此の川筋の風色天然にして兎角の論なし。予が楽しみ遊歴するところただこの事にあり。」大浄はこのように江戸近くの古利根川べりの散策を激賞するのであった。

(萩原龍夫稿)