オビシャは南関東一帯に行われる年頭の村落行事である。
古く「歩射」(ぶしや)といったものの転訛(てんか)で、ほんらい神前で弓を射る式だったのが行事の重点が饗宴に移ってしまい弓の方はやめてしまったという例も多い。
越谷市の下間久里地区では、ここの写真に見られる的と矢、それに弓も作って、氏子総代の人たちが拝殿から鳥居につるした的をめがけて射る式を毎年行っている。
もとは旧暦正月十一日だったというから年頭の儀式である。
この日、今も当番の人たちは村中から米を集めて、多量の甘酒をつくり、集まってくる子どもたちにふるまう。
二十年前までは、この日の夕方若衆がホーライと称する飾り物を作って、祭りの当番がしらである「座元」の家へもちこむことをしたという。
ホーライとは、木製の台に松竹梅を立て、大根でつくった鶴亀を糸でつるしたりして飾り立てたものだとのことで、これ正しく「蓬萊」(ほうらい)である。
武家の習慣として、正月のおせち料理の原形たる「喰積」(くいつみ)を、三宝の上にめでたく飾り、訪問客と主人とが酒を酌みつつ、これから少しずつつまんで共食することが行われ、蓬萊山(ほうらいさん)にかたどって名をつけたのである。
ところで下間久里ではこの「蓬萊」と称する飾り物(食物は盛ってない)を、座元の家へ青年たちがみこしの如くにぎやかにかつぎこむのである。
そして青年たちにねぎらいの酒を出し、宴となり、やがて謡曲がうたわれるころ、青年たちはあばれて、この「蓬萊」をめちゃめちゃにこわしてしまうのが例であったとのことである。
せっかく骨折って作ったこの祝い物を、あっさりこわしてしまうとは不可解なことであるが、これも弓の行事の意味を考えることによって説明がつく。
すなわち弓の行事は、村に対して、あだをなす魔ものを一年の初めにうちはらってしまう儀式であり、的は魔ものの象徴であるからこれに「鬼」という字を書く例は多い。
その象徴は弓矢の力によって、ばらばらに破壊されると古くは考えられていたので、この的をやぶった後の各部分を「呪物」(じゅぶつ)として村人が奪いあい、家に持ち帰るという例も多いのである。
「蓬萊」は、式礼の祝いの膳をかたどってはあるが、おそらく弓の儀式に付随する道具の一つで、これが破壊されることによって、弓矢の効果もとげられ、以後村に福が訪れる、という意味がこめられていたにちがいないのである。
下間久里の伝統としての弓の饗宴は、こうして招福攘災(しようふくじようさい)の呪術的儀礼を一村落にふさわしい規模で、年々歳々行いつづけてきたものであるといえよう。
(萩原龍夫稿)
