昭和十年ごろの越谷釣り場案内

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 市役所のわきを流れる葛西用水路に水が入ると、釣り人でにぎわうようになる。この葛西用水はいうまでもなく利根大堰から利根川の水を引水したもので、活きのよい利根川の魚が下ってくるが、さらに漁業組合で毎年鯉や鮒を放流しているので、獲物は少なくない。そしてここは県民の釣り場にもなっている。ところで、東武鉄道が昭和十年ごろに刊行したとみられる『釣りの王地東武電車沿線釣場案内』と題した小冊子があるが、(草加市石井氏所蔵)。ここには当時の釣り場の情景などがよく書き記されているので、このなかから蒲生と越ヶ谷の釣り案内を紹介してみよう。

 まず蒲生駅は浅草雷門駅からの所要時間三二分、運賃は三九銭、釣り場は出羽堀、獲物は鯉・鮒・鯰・鮠(はや)とあり、「駅附近には名の知れぬ用水や小堀が至る処にある。春の初め用水に水が満ち来ると、綾瀬等より乗り込んで来た鮒や鯉等が至る処の小堀や用水に釣れ初める。殊に駅前の出羽堀は流し釣りの快味を楽しむには適当な用水である」と述べられている。

 また越ヶ谷駅は雷門から所要時間三四分、運賃四三銭、主な釣り場のうち中川(古利根)・元荒川・逆川(鷺後用水路)が鮒・鯉・鮠(くわい)・タナゴ・ヤマベ。千間堀(新方川)とそれに東京葛西・谷古田・八条の用水路が、鮒・鮠・ヤマベ等とあり、付近の名所としては越ヶ谷久伊豆神社、大相模不動尊とある。そして「越ヶ谷附近は東京方面にかなり知られて居る釣場が沢山ある。大小の用水は河川とともに田や村を貫ひて居る。五月中旬頃各樋関(水門)近く上って来るヤマベの群は驚く程で、僅かの間に、五、六十釣り上げる事は容易である。殊に八条附近の用水には大型の鮒を釣り上げる事は決して珍しい事ではない。殊に霞の棚引く春陽に、一竿を肩に懸け元荒川の沿岸を七、八丁行った処に、有名な大沢の梅林・桃林に出る事が出来る。清楚な薫りは絶えず竿頭を掠めて水面に花弁の浮べる景は、此の地ならでは味ふ事のできない気分である。

 又徒歩か自動車で大沢橋を過ぎて逆川の岸を漁(あさ)りながらゆくと、中川(古利根川)と逆川の合流する松伏村の樋関に出る事が出来る。樋関の下は下流より上り来る色々の魚が常に密集し、年中釣り人の絶えた事はない程である。橋上より上流を眺めたあの雄大な景が、今や都人士の間に著名になりつつある、武蔵水郷の名に於て知られて来た地である。殊に夏の川遊びに一竿を携え来り家族伴れの一日の清遊は意義ある事と思ふ。又田舎町の旅館に一泊し、珍しい田舎料理の味覚も又捨て難き物である。普通一泊八十銭より上等二円五十銭位の程度である」

 などと、釣り場ばかりでなく、きわめて情緒豊かに水郷越谷の地を紹介している。ことに当時は大沢の梅林や桃林がまだ盛んなころで、梅や桃の花の下で釣り糸をたれると、竿頭をかすめて水面に花弁がふりかかる「これはこの地ならでは味ふ事のできない気分である」というあたり、さらに越ヶ谷は田舎町で田舎料理の味覚がまた捨てがたいなどというあたり、懐古の情しみじみたるものがある。

 こうした田舎町越谷も都市化が進むとともに釣り場の情景もまったく変わっていった。ことに鯰やハヤが釣れた出羽堀は石堤による護岸工事が施工され、魚もすめない排水路となった。またヤマベなどが釣れた千間堀も汚濁がひどく魚影をみることができない。それでも利根川の水を引き入れた葛西用水をはじめ、瓦曾根溜井から引水された東京葛西用水・谷古田用水・八条用水それに松伏堰枠下の古利根川には、今でも水郷越谷の名に恥じない釣り場として多くの人が訪れているのは昔と変わらない。

 なお用排水分離工事が施工された昭和四十年ごろまでは、逆川を流れる葛西用水は大沢の地蔵橋地先で元荒川と合流、埼玉県地方庁舎や市役所庁舎を含めた広大な瓦曾根溜井にそそがれていたのである。

昭和十年ごろの蒲生の綾瀬川 草加市 石井氏提供