えびすさまと大黒さま

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 えびす・大黒天・ふくろくじゅ・ほてい・べんざい天・じゆ老人の七人は、古くから福徳の神として七福人と呼ばれています。このうち「えびす」は漁業や商業の神様、「大黒天」は農業の神様としてとくにしたしまれています。

 今からおよそ三五〇年ほど前の寛永十三年(一六三六)に、徳川家康を祀(まつ)った日光東照宮の社殿がつくられましたが、このときたくさんの工匠(こうしよう)が江戸にあつめられ、日光街道を通って日光に向かったようです。このうち飛彈(ひだ)国(今の岐阜県)の工匠は、とくに名工だったといわれ、左甚五郎という名でいろいろな伝説が語(かた)りつがれています。

 越谷でも大泊(おおどまり)の観音堂や、大房の薬師堂は、左甚五郎が一夜で建てたお堂で、「うるし一〇〇〇貫、朱(しゆ)一〇〇〇貫」を夕日・朝日の照るところに埋めて立ち去ったといわれます。また蒲生清蔵院の山門にかざられている竜の彫刻(ちようこく)も、左甚五郎の作品だといわれます。

 またこの清蔵院の近所である日光旧街道にそったところに、えびす屋(八百屋さん)と、そのおとなりに、大黒屋という屋号をもった家があります。このうちえびす屋さんにはおよそ三センチぐらいの小さなえびすの彫刻、大黒屋さんには一〇センチぐらいの大黒天の彫刻が大切に保存されています。いずれもこの彫刻は左甚五郎が日光街道を通ったとき、御世話になった御礼として彫ったものと伝えられていて、なかなか精巧な彫(ほ)りものです。こうした由緒(ゆいしょ)から、大黒屋とえびす屋の屋号がそれからつけられたといいます。

 もしかすると左甚五郎が清蔵院の竜を彫ったとき、この大黒天やえびすを彫っていったのかもしれません。夢のある話としてこの伝説は長く残したいものですね。

蒲生大黒屋さんの大黒像