上谷(うはや)の天神社

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 川柳地区上谷(うわや)の松井家に、天神社がまつられています。この天神社には次のような伝えが残されています。

 今からおよそ一二〇~三〇年前の幕末(江戸時代の終わり)のころ、松井家の先祖に「荒獅子(あらじし)」という相撲取りがいて、ある大名のお抱(かかえ)力士になっていました。ある年、京都の北野天満宮で東西力士の大相撲が催(もよお)されましたが、このとき「荒獅子」は、「どうか勝てますように」と天神様に祈願し、天神の木像を髷(まげ)(頭の髪)の中に入れて相撲を取りました。すると調子よく勝ち進み、ついに上方(かみがた)の横綱を負かして人びとを驚かせました。

「荒獅子」は、これは天神様のおかげによるものと感激し、北野天満宮の境内に植えてあった「ゴモ」という薬草を持ち帰り、自宅の庭に植えるとともに、りっぱな天神の社殿を建てておまつりしました。ところがこれを伝え聞いた人びとは、「荒獅子」のように天神様の御利益(ごりやく)にあずかろうと、松井家の天神社は参詣する人でいっぱいになりました。

 参詣する人びとは、それぞれ願いごとがかなえられるようにと絵馬(えま)を奉納しましたが、その絵馬の置き場所もないほどになり、大きな絵馬堂が建てられるほどでした。こうして毎日のように群をなす参拝者をみて、上谷の人びとは農業も手がつかず、みんな参詣者相手の出店を開いて商売にはげんだといいます。ことに松井家の天神は、書道やお針の上達に御利益があったそうですが、また「ゴモ」の薬草により病気やけががなおった人も多かったといいます。

 こうしてたいへん流行した天神社も、なぜか明治二十年ごろから参詣者も少なくなっていったといわれますが、今でも彫刻のほどこされた荘厳(そうごん)な天神の社殿や、絵馬が山積みされている朽ちかけた絵馬堂が残されており、さかんであった当時のおもかげをしのばせています。

上谷にある天神社