宝船と金塚

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 お正月は新春とも呼ばれ一年の区切りをつけるおめでたい年のはじめにあたります。このお正月には人びとは昔から一年間のさまざまな夢をえがいて胸をふくらませてきました。夢といえばおめでたい言い伝えもそのなかにふくまれるでしょう。

 その一つに間久里(現桜井地区)の宝船があります。そこは上間久里と下間久里の間にある土浮(どぶ)という水田地ですが、ここはもと川が流れていた所といわれ、ここに宝を積んだ船が沈んでいるとの言い伝えがありました。今では埋立てが進んで住宅地にかわっていますので、宝船を掘りおこす夢もなくなりつつあります。また大泊から平方に出る道の途中に金塚と呼ばれた小高い丘がありました。ここも古くは会野川という川が流れていた所です。あるとき、この川を軍用金を積んだ船が通りかかりましたが、台風のためここで沈没したと伝えます。土地の人びとはそこを金塚と呼んでいつか掘りおこすことを夢にみていました。このほか宝船が沈んでいるという言い伝えは、谷中の出羽小学校内の交通公園や、もと大沼と呼ばれた沼地であった七左衛門(七左町)の武主大明神社のところにもあります。

 もっとも見田方(現大成町)の住居遺跡も、もと一本杉と呼ばれた所で、ここに昔から宝船が沈んでいるとの言い伝えがありました。しかしここは宝を積んだ船ではなく古代の住居跡でした。越谷にはこうした伝説がいたる所で聞かれますが、こうした夢もたのしいものですね。

さしえ・大徳美智子氏