昔の食物

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 お米の「ゴハン」は現在パンやソバなどにおされて、毎年あまっているといわれます。しかし、昔はお米が足りなかったので白いお米だけの「ゴハン」はとくべつな日にしか食べられませんでした。そしてはじめてとれたお米は、「コメバツ」あるいは「ワセメシ」と呼んでとくに神様などに供えましたが、人びとは「ワリハン」といって、米に麦や芋(いも)類を入れた食事がふつうでした。

 こうしたなかでなんといってもごちそうはお餅(もち)で、とくべつな日にはかならず餅をつくりました。このうち塩あんの大福餅を「アンビン餅」といい、砂糖入りのあんころ餅を「ジダイ餅」ともいいました。そして稲の刈りとりが終わったときは、「カッキリボタモチ」、もみすりが終わったときは「コッキリボタモチ」、お日待につくる餅を「ヒマチモチ」、あるいは死んだ人の四九日目につく餅を「シジュウクモチ」などと呼んで餅をつくっていました。このほか、誕生日前に歩いた子には、「ブッツイモチ」と呼んで一升餅を背おわすこともしました。

 また「オヤツ」ではうるち米でつくった「クルマモチ」、種子(たね)まきで残ったもみをむしてつくった「ヤキゴメ」、米と麦をいって粉にひいた「ハツカコガシ」などがありました。このうち「ハツカコガシ」は一月二十日にとりはずした正月の飾りものを燃(も)やして煎(い)ったもので、「マジナイ」として家のまわりにまくならわしでした。このほか十二月一日につくる「カビタリ」と呼ばれた汁粉餅や、「オビシャ」などの日につくる「アマザケ」などもありました。

 また「オカズ」では酢(す)を入れた大根おろしに節分の豆を入れた「スミツカリ」や祭礼などに出される「ムシリ魚」などがありました。いつでもどこでも好きなものを自由に食べることができる今の人は、めったにごちそうを食べられなかった昔の人ほどには、ごちそうを食べる喜びがなくなっているかもしれませんね。

粉ひき臼(うす)