昔の休日

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 もとは越谷地域の人びとは、ほとんどが農業を生業として生活していました。そして一年間のさまざまな行事も集落(しゆうらく)単位で共同で行うのが普通でした。休日も古くからの慣(なら)わしである正月やお盆(ぼん)を除いては、集落単位で定められた日にみんなで休みをとりましたが、これらの休日もすべて正月と呼んでいました。

 たとえば九月の台風が無事にすんだときの休日である「アレナシ正月」、日照りが続いたあと雨が降ったときの「オシメリ正月」、稲の収穫(しゆうかく)がすべて終わったときの「カラスッバレ正月」または「ゴミッバタキ正月」などと呼んで、一日の休みが許されました。この一日の休みを「ドンタク」と呼んでいます。この「ドンタク」には二月の一日の「ジロウのツイタチ」や二月の初めての午の日にあたる「ハツウマビシャ」などがありました。また七月の虫送りがすんだあとは「ネムッタ正月」とも「虫送り正月」ともいって半日の休みが許されましたが、この半日の休みを一日の休である「ドンタク」に対し「半ドン」といいました。この「半ドン」にはお盆に入る七月一日の「カマノクチアケ」などがありました。

 このほか越ヶ谷町の二・七の日、つまり月六回の六斎市(ろくさいいち)の日は「半ドン」と定められた所もありました。これはこの日越ヶ谷町に市(いち)がたちましたので越ヶ谷周辺村々の農家が、農産物を市に運び、帰りに日用品を買いととのえるという生活上の必要から半日の休みがもうけられていたわけです。

 現在は日曜日が休日というように、一週間に一日ないし二日の休日が一般的ですが、昔は冬季の農閑期を除いては、とくに許された日以外は勝手に休むことできませんでした。また奉公人の場合は「ヤブ入り」といって一月の十六日と、七月の十六日には実家に帰ることが許されました。

 この点現在の人びととは休みが多いので、休みに対する喜びはうすくなっているのも事実でしょう。

昭和43年頃の越ヶ谷市