関東大震災(かんとうだいしんさい)

209~210/236ページ

原本の該当ページを見る

 今から約六〇年ほど前の大正十二年(一九二三)九月一日午前十一時五八分、とつぜん「ゴーッ」という音がして大地が上下にはげしく震動(しんどう)し、たくさんの建物がつぎつぎと倒れていきました。これは相模湾(さがみわん)の海の底で起きた震度八という強い地震のためで、被害(ひがい)の大きかったことから、関東大震災と呼ばれています。

 とくに東京では大火災が発生したため、このときの死者は九万余人、行方不明の人は四万余人という大きな災害となりました。

 埼玉県では火災が起きなかったので、比較的(ひかくてき)被害は小さかった方ですが、それでもこわれた家が七万余戸、こわれた建物の下じきになったりして死んだ人が二二七人、負傷した人が五一七人もいました。

 このうち越谷では、こわれた建物が一六六六戸、死者が一九人、負傷者が六六人でした。最も被害の大きかった地区は、出羽地区と大相模地区で、出羽地区での全壊戸数が二八三戸、死者が七人、負傷者が二四人、大相模地区での全壊戸数は一二五戸、死者が五人、負傷者が二五人でした。「天災は忘れたころにやってくる」ということわざがあります。関東では、大正十二年の大震災から六六年前にあたる安政二年(一八五五)という年にも大地震があって、火災などで数えきれないほどの人が死んだり、けがをしたりしていました。わたしたちは、いつ地震がきてもあわてないように、地震がきたときはどうすればよいかを常に考えておかねばなりません。ことに地震のときは火災をおこさないように気をつけることが大切ですね。安政二年や大正十二年の関東大地震がそれを教えてくれています。

大正12年の震災で倒れた家屋(春日部)