土に生きる子どもたち

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 今から三〇年ほど前までの越谷は、水田や畑地が広がる農村で、ほとんどの人が農業で生活していました。それで小学校でも田植えなどでいそがしい六月には〝農繁やすみ〟といって十日間の休日がもうけられていました。小学生でもいそがしいときは農業の手つだいをしなければならなかったからです。

 たとえば増林村昭和二十八年発行の「こうみん」という雑誌のなかにのせられた小学生の作文には「六月十九日から六月二十八日まで学校は農繁やすみになりました。その間僕は一生けんめい田植の手つだいをしました。僕はもううれしくてたまりません。(略)僕は皆さんがとった苗をかごにつめて運びました。(略)夕方になると田植の歌が聞こえてきました。僕は家に帰って台所や、ざしきのそうじをしました。そして少したつと皆さんが帰ってきました」とあります。

 また中学二年生の作文には「働く喜び」と題し、次のようなことが書かれています。「私は大きい姉ちゃんといっしょに畑の掘起し作業に行った。土は固く一ふり二ふり万能がはね返されそうで、掘起した土くれがなかなかとけない。(略)ときどき秋風が自分たちのほほをなでていく。(略)空を見ると空はよく澄んでいっそう高いような気がする。赤とんぼが自分たちの前をすいすいと飛んで行く。(略)姉ちゃんが〝もう帰ろうよ〟といった。鳥がもうそろそろねぐらに帰って行く。二人は万能をかついで家路に急いだ。西の空は真赤にそまった夕焼空。家の近くでは弟たちがはしゃいで夕焼の歌をうたっている。熟しかけた早稲(わせ)柿が夕焼空に赤く光っている。田舎の黄昏(たそがれ)時は実に静かだ。その晩のご飯はおいしくいただくことができた。働くことの喜びを私はつくづく感じた」とあります。

 当時の越谷の人びとは、美しい自然のなかで大人も子どもも土に生きる喜びを生きがいとして、それなりに幸を感じていたのです。

さしえ・大徳美智子氏