板石が敷きしめられた参道はおよそ五〇〇メートル、両側に松の古木が茂っていたが、近来枯木となり伐り取られた松も多い。その伐取られた巨大な松の根株が所々に残されており、松の古木が生い繁った以前の壮厳な参道の景観を偲ばせる。なお枯れ松が伐りとられた跡に植えられた樹木はすでに地球上から絶滅したといわれる「メタセコイヤ」通称「あけぼの杉」とも称される落葉樹である。これは越谷の植物研究者有滝竜雄氏が生き残っていた中国産の原種をとりよせて、その植林に成功、このうち一〇〇本を昭和三十七年頃に植木したもので、現在およそ七〇本ほどが見事に成育し、荘厳な参道の景観に色を添えている。さて参道を少し行くと正一位久伊豆大明神と刻まれた石の額を掲げた花崗岩の大きな一の鳥居がある。これをくぐると文政十一年(一八二八)新町五番組奉納による台石ごと三メートル余に及ぶ御神燈が一対建てられている。この先の右手は道路をへだて、昭和五年埼玉県に移管された越ヶ谷高等学校であり、左手は樹木に覆われた植物園アリタキアーボレータムである。
やがて参道に架せられた石橋にかかる。この石橋には銘がないが、傍らに文久二年(一八六二)建立による「奉納石橋伊勢太々講」と刻まれた自然石の碑が建っているので、この石橋は文久二年のものと知ることができる。また碑の裏面には三鷹屋勘兵衛・升屋善蔵・本銚直吉・亀屋半兵衛・笠屋定次郎・穀屋忠七など奉納者の氏名が記されており、当時における有力な越ヶ谷住民を知る手掛りを与えてくれる。また石橋をはさんでその向かい側には越ヶ谷板倉雷神講奉納による御神燈をかたどった奇岩が置かれており、その傍らには大正十年榛名山共栄講による花崗岩敷石奉納の記念碑が建てられている。