小林の香取神社

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 石垣で護岸工事が施工された元荒川の堤通りを川に沿って南へ少し下がると左手は昭和三十九年より区画整理が施工され、同四十六年東越谷と住居表示が改められた東小林の地である。なお東小林とは明治十二年の郡制施行の際名付けられた村名でそれまでは小林村と称されていた。

 すでに区画整理後は増林よりの一角を除いて新興住宅が建ならび、古い集落やこれにともなう古道はたずねる術はないが、以前は古川と称された旧荒川の曲流路に沿い、丘のようにつらなる自然堤防上に列村的に集落がつらなりそこに古道が通じていた。この小林の集落からは元享三年(一三二三)在銘のものをはじめ数基の板石塔婆が発見されており、古い集落であることを物語っている。しかし元荒川側の大半の地は、前述のごとく区画整理の結果平地に均され網の目のような道路をはさんで平坦な住宅地になっているが、この中で小林村の鎮守香取社と、真言宗東福寺がわずかに往古の名残りを留めるように住宅地より一段高い丘(砂丘)の上に建っている。

 まず香取神社は川べりの道から左へ少し入った所で、神社前の屈曲道は古道をそのまま利用した名残りの道である。神社の石段を昇ると建立年代は不明ながら鉄筋コンクリートの鳥居があり、それをくぐると右面に吉川・ふどう道、左面に越ヶ谷・岩槻道と道しるべが付された文化十一年(一八一四)の文字庚申塔や昭和四十八年建替えの道祖神社の祠などがある。さらに参道を進むと明治四十一年奉納の御神燈一対と木造の二の鳥居があり、その右手は集会所になっている。この先に大正十一年建立の伊勢太々神楽奉奏記念碑、それとならんで元禄二年(一六八九)奉納の御手洗石があり、これには武州小林観音寺とあるので、当時観音寺が香取社の別当寺であったことが知れる。またこの先に元禄十三年在銘三十五貫目と刻まれた卵形の奉納力石が置かれている。

 その正面は昭和五十二年鉄筋建てに改築された神殿であり、神殿の傍らにその沿革が刻まれた改築記念碑が建てられている。この碑銘には、小林村は五〇〇年以前(文明年間〉九軒の百姓が定住して開発が進められた村で、享保年間その戸数は三三軒を数えたなどと記されている。なお江戸時代小林村の村高は七八二石余、戸数一〇七軒の比較的大きな村であった。当時この香取社は、古式にのっとった産社行事を執行する社として知られていたが、現在は行われていないようである。

 また境内地は常緑樹の大木や竹林に囲まれ昼なお暗いほどであったが、そのほとんどの樹木や竹林は伐取られた。このなかで神木として保存されていた松の大木も最近枯枝の落木で神社下の家屋が危険とみなされ、ついに伐取られたといういきさつもある。さてこの神殿の傍らには、古くから琴平神社や秋葉・白山・熊野の三社神社が祀られていたが、これも今ではコンクリートの祠に建替えられており、神社の壮厳さが薄らいだ感じがないではない。

小林香取神社