瓦曽根稲荷神社と照蓮院

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 さて溜井に沿った道(県道越谷吉川線)を進もう。戦前まではこの堤通りは桜の並木が続いていたが、今はその枯木さえも道路の拡幅などで抜きとられて残っていない。最近造成された数軒の店舗を過ぎた所に、かつて瓦曾根・西方・登戸・蒲生四ヵ村の灌漑用水に用いられた四ヶ村用水路の元圦がある。現在この用水路沿いの田畑はほとんど潰廃されて宅地などに転用されたため用水路機能は消失しどぶ溝に化している。この元杁の先は瓦曾根の鎮守稲荷社である。神社の創建年代は不明であるが『新編武蔵』によると、この地は古い頃浅見大学、須賀大炊介などの開発を伝えており古社には違いない。

 右手の道から参道に入ると、建立年代は不詳ながら花崗岩の鳥居があり、その両柱には「風和雨順 一郷沐神明之徳 嘉穀維茂 千室逢豊穣之秋」と刻まれた文字を読みとることができる。鳥居をくぐると文化元年(一八〇四)橋本甚蔵奉納と刻まれた御手洗石があり拝殿の前には明治三十三年修繕と刻まれた御神燈と文化二年の御神燈が置かれている。その他境内に自然石の御大典記念碑などがある。拝殿・奥殿は瓦葺でそう古くはない建造とみられるが木彫などがほどこされている。また拝殿の右傍らに水神社の石祠と、木祠の八坂神社、それにならんで厄神社の祠があり、奥殿の柵内には龍王講による明治十六年の御神燈が置かれている。

 神社を後にして横道をさらに進むと日光新道(旧国道四号線)に出るが、その途中樹木に覆われた右側の一角は、もと瓦曾根村の世襲名主中村彦左衛門家の屋敷である。中村氏の先祖は三河の士で中村彦左衛門一栄と称し、慶長五年(一六〇〇)六月沼津城で家康の接待にあたり、信国の短刀を賜ったと伝える。その後瓦曾根村に住し名主を勤めたが、明和八年(一七七一)には江戸城に納める御膳細糯の御用取扱人に任ぜられ、天明四年(一七八四)御用精勤により苗字帯刀を許され一人扶持を与えられた。その子もまた御用取扱人として精勤、寛政十二年(一八〇〇)六人扶持を与えられたが、また瓦曾根溜井の差配役をも勤めた。

 この中村家の屋敷の先は慈悲山照蓮院という真言宗寺院である。その開基年代を伝えていないが、天正十九年寺領朱印地高五石を授けられた由緒ある古刹である。旧国道四号線に面した境内地は現在幼稚園になっているが、その傍らに通路があり瓦葺の山門前に出られる。山門を入ると右手の塀ぎわに寛文七年(一六六七)の観音座像の供養塔や、享保元年(一七一六)村中奉納による六地蔵像塔がならべられている。正面は本堂で、本堂前に弘法大師像を戴いた天保五年(一八三四)「一千年御遠忌供養塔」また「新四国二十五番八十八箇所」と刻まれた柱状塔がある。この向かい合わせに寛政十二年(一八〇〇)造塔による高さ五メートルに近い宝篋印塔がそびえたつように建てられており、その傍らには、無縁仏墓石が数十基安置されている。

 本堂を正面にした左側は墓地になっているが、敷石の通路に入ると突き当りは秋山家の墓所で、墓所の正面に寛永十四年(一六三七)「御湯殿山千徳丸」在銘の小さな五輪塔墓石と、天正十八年(一五九〇)「秋山孫左衛門」とある大きな五輪塔墓石があり、それに続いて寛永・寛文・明暦・元禄年号銘の五輪塔や宝篋印塔など、秋山家歴代の墓石がならんでいる。このうち寛永十年の「千徳丸」の供養墓石は市文化財の旧蹟に指定されている。この秋山家とは、家伝によるとその祖は甲斐武田氏の家臣秋山伯耆守信藤であり、天正十年(一五八二)三月天目山の戦いで武田氏没落の後、戦死した秋山信藤の子長慶が残された武田勝頼の遺児千徳丸をともなって、七左衛門村(現七左町)に潜居したがのち瓦曾根村に居を構えた。千徳丸は間もなく没したが、長慶はこれを悲しみ瓦曾根村照蓮院の住職となってその菩提を弔ったと伝える。ちなみに長慶の兄虎康の娘は、徳川家康の側室となり、於都摩の方と称したが、家康の五男武田信吉を生んでいる。信吉は天正十八年(一五九〇〉下総国葛飾郡小金領三万石の領主に封ぜられ、のち文禄元年(一五八八)佐倉四万石に移封、さらに水戸一五万石の城地を与えられたが慶長八年(一六〇三)二一歳で没し、この家は断えた。

 それはともかくとして秋山家の墓所の右脇は、照蓮院住職代々の墓所になっているが、古い五輪塔墓石の年号銘などは風化して読み難くなっている。さらに本堂の脇に木の柵で囲まれた墓所があるが、ここは前記の瓦曾根村世襲名主中村彦左衛門家の墓所である。入口に石燈籠一対が供えられ、正面には天保四年(一八三三)造立の自然石による中村重梁の墓碑がある。この墓碑には宜秋雲児自休居士墓と刻まれ、御膳細糯御用取扱いに任ぜられた中村重梁と、その子重権の履歴が記されており、その末尾に「ぬしや無く きくの名たかし はなの宿」の手向けの句が刻まれている。この墓所にも慶安・万治・寛文・延宝年号銘の宝篋印塔墓石その他の型の代々の墓石が整然とならべられている。

大正期の瓦曾根溜井堤
瓦曾根稲荷神社
瓦曾根照蓮院
千徳丸供養墓石