再び堤防上の道に出て進むと、行く手にあたり誇張した表現ながら天に聳え立つような数本の松の大木が目に入る。この木の下が東方村(現大成町)の鎮守久伊豆神社で、日枝神社からの距離はおよそ二五〇メートルほどの所である。神社の手前にある越谷市立大相模保育所の先から境内の横手に入る道があるが、参道は神殿からおよそ一五〇メートル先の越谷吉川県道脇に建てられた花崗岩の一の鳥居からはじまる。ここから昭和三十三年建立になる鉄板製の二の鳥居までの参道は拡幅されて舗装道路になっており、参道の両側には住宅が進出してかつての参道の面影はなくなっている。それでも二の鳥居から先の境内地は、静かな神域としての雰囲気が残る一角である。この二の鳥居の入口両側に直径一メートル半にも及ぶ銀杏の大木があり、太いしめ縄が両方の幹から張られているが、樹齢は数百年を下らないであろう。ここから参道は一段高い境内地に続いており、石段を昇った所に嘉永五年(一八五二)の奉納になる御神燈や文化四年(一八〇七)の御手洗石、それに明治十二年奉納の阿伽獅子などが置かれている。また神殿に向かって左手の松の木の植わった広場に明治三十一年建碑の浅間神社碑や富士山登山記念碑、それに「至誠通神」と刻まれた自然石の碑などがあり、さらに神殿の裏手権木の茂みの中にも昭和六年の伊勢参拝記念碑が建てられている。ここは樹木もまばらでその右手は今のところ畑地になっているが、いずれ神域を犯すかのように少しづつ住宅が迫ってくるような感じである。