大相模の集落

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 沖積地の集落は、およそ川に沿って列村的につらなっているのが普通であるが、見田方、東方それに西方の一部の集落は、元荒川の流れを円形の中心線として半円形に突出た形になっている。これは古い頃利根川乱流時の一河道が形成した微高地といわれ、当地域では珍しく一団となった大集落をなしている。およその農家はすでに近代的な家に改造されており、そのなかに新しい住宅が入り交っているが、全体的にみると古い集落を中心とした比較的静かで落着いた地域である。

 集落内を縦横につらぬく小道の多くは舗装された道になっているが、道に沿った農家の屋敷地には、梅や桃などの庭木、あるいは四季折々の草花などが植えられ、さらに庭先に続いて畑地になっている所も多い。なかには構え堀をめぐらし屋敷林に囲まれた由緒ありげな家なども目につく。こうした農家の間をぬうようにつけられた小道を行くと、鮮やかな朱塗りの鳥居が連立する稲荷の祠、天文二十二年(一五五三)在銘の弥陀三尊図像板碑が墓石の間にたてかけられている墓地(東方仲立墓地)、寛永の年号銘が読みとれる宝篋印塔墓石がみられる共同墓地、また路傍の小さな祠の中に、元亀三年(一五七二)在銘の二十一仏板碑が納められており(西方道祖神社)、その他古い由緒を誶ねる手掛りとなるものが数々みられる。これらは散策者それぞれの趣向で採訪して戴くこととし、ここでは見田方浄音寺と県道越谷・吉川線を境とし、その南方にあたる東方・見田方・西方集落の主な旧蹟、それに見田方遺跡公園を辿るにとどめる。

天文22年図像板碑(東方仲立墓地)