大道の集落と香取神社

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 大袋公民館の前から元荒川の旧流路づたいに通じる道は舗装された道になっているが、元荒川づたいの各集落をむすぶ古道の一つで、この道に沿って集落がつらなり鎮守社などが勧請されている。しかも人や車の往来も少なく適当な散歩道の一つといえる。さて大竹香取神社の境内を出ると、道の両側は広々とした水田地となるが、その道端の一部は現在土盛工事が進められており、いずれは住宅地に化すとみられる。この水田地の先に生垣で囲まれた共同墓地があるが、これを境に、この先は昔ながらの屋敷林に囲まれた大道の集落となる。

 屋敷と屋敷の境は樹木の茂みで判然としないが、屋敷林の間の露地を入っていくと、そこは樹木に遮ぎられた袋小路で、小さな墓所であったり神社の祠であったりする。また道端に「東まくり、南いわつき、北のミち」と道しるべを兼ねた天保四年(一八三三)造立の大きな柱状型の文字庚申塔が建てられていたり、ところどころ梅林などもみられる。この静かな道を進んでいくと、右方が開けて大道の鎮守香取神社の前に出る。神社の入口に不動堂がありその裏は小さな共同墓地になっているがなぜか違和感を感じさせない。畑の中の細い参道を行き、朱塗りの木の鳥居をくぐると、天保十三年(一八四二)奉納になる石の阿伽獅子がある。境内の左方は松の木などが植えられた盛土の丘になっており、浅間神社と御嶽神社の碑、それに大正十二年の震災で倒壊した社殿の再建を記念して建てられた同十四年の碑などがある。また神殿の脇には、文化三年(一八〇六)の文字庚申塔と同十二年の猿田彦大神塔が、朽ちすてられた木の空祠とともに忘れられたように置かれている。

 ここから先はまた屋敷林に囲まれた大道の集落が続く。このなかにもと大道村の世襲名主栗原家の屋敷跡であった尾津邸がある。庭園内は池や岩・植木・石燈籠などが美しく配置され人工の自然美を誇った料亭のような庭にしたてられているが、これを石垣越しに窺うことができる。またこの辺りは同じく古い集落のたたづまいが残っている所で、草葺屋根の農家があったり、小規模の共同墓地があったり、屋敷神とみられる祠があったり、またそこに寛政三年(一七九一)の青面金剛庚申塔が立てられていたりする。やがてこの道は元荒川堤防上の県道大野島越谷線に合わさるが、この県道の右手にある店先の塀際に石垣上に安置された銅葺の小さな祠をみることができる。このなかに納められているのは、かつて元荒川から出土したという「南無妙法蓮華経」と刻まれた貞治六年(一三六七)の七字題目板碑である。中ほどから二つに折れており、その折れ目はセメントで固められているがこの種の板碑は越谷では当所にあるだけであり市の文化財に指定されている。またこの路傍に文化六年(一八〇九)の「奉読誦普門品五万巻供養塔」とある石塔が建てられておりこの道は元荒川堤防上の古くからの街道であることを窺わせている。

大道香取神社
大道農道
大道七字題目板碑