新方地区の虫追い

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 新方地区のうち川崎をはじめ大杉、大松、向畑などは、今でも虫追い行事が執行されている珍しい地域である。例年七月二十四日の日暮れを待って、各地の農民が麦わらをたばねた二メートルから三メートルにわたるたいまつを持ってそれぞれの鎮守社に集まり、鎮守の神火からたいまつに火を移し、鐘や大鼓を打ちならして行列をつくり、ホーイホーイと叫びながら所定の農道を村はずれまで行進、そこで燃え残りのたいまつを積み上げて手打ちとなるしくみである。

 もとは、虫追いを終えた新方地区の各村は、この日神楽が執行されている船渡の香取神社に集まり、神楽を観賞してから解散するという習わしであったという。虫は火を求めて集るといわれ害虫の駆除にはそれなりに効果があったとみられるが、この行事は西方村の旧記によると西方村では寛政三年(一七九一)から虫追いをはじめたとある。たまたまこの年は稲の実のりも良かったので、以来毎年続けるようになったという。したがって越谷地域の虫追いは、およそこの頃から始められたとみられるが、戦前まではどの村でも一せいに執行されていたようである。

 しかし戦後住宅の密集による火災の危険や麦わらの不足、あるいは人びとの考え方の変化から次々と中止されていき、今では新方地区だけが麦わらの他稲わらや芦草などを利用して行なっている。しかもこの虫追い行事は現在埼玉県でも秩父などを除き、ほとんど行われていないといわれるが新方地区でも農地の潰廃や住宅の進出などにより、何時まで続けられるかは予想できない。

新方地区の虫追い