女帝神社

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 東武鉄道せんげん台駅発茨城急行バス大正大学行、その他何処行でもよいがこれに乗車、武里駅入口停留所で下車、ここから道を北にとり集落ずたいに平方を一巡することにする。まずバス停から道を戻るような状態で少し行くと道は二股になっており、その岐れ道の角に屋根囲いの小屋がある。この中に延宝元年(一六七三)の地蔵像供養塔、正徳五年(一七一九)の笠付青面金剛庚申塔、宝暦十二年(一七六二)の石橋建立供養塔が立てられている。これらの石塔はもと竹林のもとに雨ざらしになっていたが、地元の人が最近小屋を建ててこの中に収めたものであろう。

 ここから車の往来や人通りの少ない舗装された市道を少し進むと、左手に数株の松の木が植えられ石畳が敷かれた小路が目につく、ここが平方南組の鎮守女躰神社の参道であるが、地元では女帝神社とも呼んでいる。参道の入口に昭和十三年寄進による花崗岩の幟立と鳥居が建てられており、その奥はさして広くはないが小じんまりした境内地になっている。この境内地の左手に鉄柵で囲まれた女帝神社の瓦葺の神殿と八坂神社の神殿が建てられている。このうち女帝神社の前に女帝神社由来記と題した大きな立札が掲げられている。

 この由来記の記事によると、女帝神社は平方南集落の氏神で、例年一月十二日が祭日(おびしゃ)である。明治四十五年神社合併を促す政府の趣旨にもとずき、女帝神社も平方の浅間神社に合祀され、同時に当所の神殿もとりこわされたが、以来南集落に不幸が続いた。これは神社の合祀が神慮にかなわなかったためであると考えられ、昭和八年仮宮を建てて神をもとの地にお戻りさせた。するとそれからは不思議に不幸が起きなかった。

 こうして昭和四十三年現在の神殿を新築したが、南集落の氏神として人びとは強い信仰のもとにお祭りを続けているという旨が記されており〝産土の女神の慈悲に守られて 幾代久しく栄あれかし〟などの歌が添えられている。神社崇敬の念が厚い集落の人びとの、昔ながらの素朴な信仰がこめられている神社の一つといえよう。

 神殿の前には銀杏(いちよう)の大木が二本、神殿の後ろには杉の木などが植えられており、荘厳な神域を保つ努力がはらわれているようである。また鉄柵に画された神殿前の境内地にはブランコなどが設けられ子供の遊び場にも利用されているが、境内地を画すブロック摒のもとには、古くから立てられていた石塔類が一列に片付けられ整然とならべられている。これらは左側から明治二十六年の自然石による金比羅大神塔、弘化三年(一八四六)と文政五年(一八二二)の普門品供養塔、文化五年(一八〇八)の文字庚申塔、天明四年(一七八四)と年代不詳の青面金剛庚申塔、寛政八年(一七九六)の青面金剛文字庚申塔、それに天保六年(一八三五)の天満宮と明治十四年の御嶽大神の石祠などである。

 このほか反対側のブロック摒のもとにも石塔がならべられているが、このなかに享保十四年(一七二九)の六十六部廻国供養塔がまじっているものの、は寛文二年(一六六二)在銘の卵塔墓石をはじめすべて墓石である。またこの墓石の列のはずれに墓石がつまれているが、このなかに寛永十六年(一六三九)在銘の宝篋印塔墓石の台石などもまじっている。おそらくこの女帝神社の近辺に墓地があったに違いない。

 女帝神社を後にして市道を進むと、右手は畑地が混在する新興の住宅地であり、左手は農家を中心とした古くからの集落である。屋敷林の合間合間に細い露地が通じており、その先はこんもりした山林であったりして萱葺屋根の農家も珍しくない。さらに広い農家の庭先に立派な不動堂が屋敷神として建てられてあったりして、寺院の堂舎と見ちがえることもある。また道に沿ってブロック摒が凹状に建てられてあって、この凹状の中に明治八年と大正十一年在銘の稲荷大神の石塔が祀(まつ)られてあったりしているが、おそらくこの家の人が屋敷内を摒で囲ったとき、路傍に祀られていたこの石塔を取り除かずそのまま残したものであろう。

 また道に沿って笹竹の茂みが垣のようにつらなっている所があるが、この笹竹の先に寛政七年(一七九五)の青面金剛庚申塔とともに、昭和四十一年の造塔になる「勝地蔵尊」と刻まれた屋根囲いの地蔵供養塔が建てられている。素朴な農村の面影が感じとられる一画といえよう。こうしたなかに乳牛を飼う牛舎などもみられるが、この先に木工所がある。この前の露地を入っていくと突き当たりは竹林を背にした瓦葺の集会所である。

 ここはもと平方林西寺の末寺の一つであった明星院崇源寺(すうげんじ)と称された浄土宗寺院の跡である。集会所前広場の左手に、享保二年(一七一七)造塔になる頭がくずれ落ちた六地蔵をはじめ、数基の墓石がコンクリートでかためてならべられている。このほか寺院跡を偲ばせるものはみあたらないが、ここには虚空蔵菩薩像をほった板木や年号不詳ながら釈迦一尊板碑などが保存されている筈である。

平方女帝神社
路傍の石塔