増林真正寺跡と中島諏訪神社

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 清掃組合し尿処理場手前の千代田橋という昭和四年架設になるコンクリートの橋を渡ると、数軒からなる農家の集落がある。増林の新田集落である。その橋の袂の灌木の茂みの中に文化三年(一八〇六)の「向ふどうミち、右松ぶし道、左わたし場」と道しるべが付された水神宮塔と、天保十三年(一八四二)の馬頭観世音供養塔が立てられている。おそらくこの道は増林本村に通じる古道の一つであったに違いない。ここから千間堀沿いの道をさらに進むと、増森新田の地となり真言宗真正寺跡の前に出る。

 現在農村センターという新田集落の集会所になっているが、境内地は整地が進められようとしている。左手の墓地もすでにブロック摒で囲まれ、中の墓石も整理されたあとがみられるが、この整理された無縁墓石のなかに、元禄七年(一六九四)の青面金剛庚申塔や明和八年(一七七一)の六十六部廻国供養塔、その他六地蔵などが交っている。このほか以前墓地の入口に庚申塔が置かれていたが、この庚申塔はおそらく真正寺跡の先にある稲荷神社境内地の笹竹の茂みの下に移されたものであろう。ここには享保十八年(一七三三)と明和七年(一七七〇)、寛政十一年(一七九九)、それに年代不詳の青面金剛庚申塔がならべられている。稲荷の神殿は祠のような小さな社で新しく再建されたものである。入口には朽ちかけた木の鳥居が建てられており、明治十七年の御手洗石や文化十三年(一八一六)の第六天神宮と刻まれた石祠などが置かれている。

 この稲荷社の前の千間堀には、水管橋が架せられているが、これは江戸川表流水を取水した飲料水の送水管で、昭和四十九年の架設になるものである。この辺りは現在新方川(千間堀)の拡幅補強工事が進められている最中である。なお千間堀は昭和四、五年頃までは真正寺跡手前から曲折して元荒川に落とされていたが、篠竹が生い茂る堤防跡の一部や、元荒川の千間堀落とし口が今に残されており、当時の千間堀流路の面影を偲ぶことができる。

 さて水管橋から堀沿いの道はまもなく昭和橋に続き千間堀から離れるが、この道を進むと中島の地となる。道は中島の集落をつらぬいて続くがやがて今は中島神社と呼ばれている中島の鎮守諏訪神社前に出る。境内の横手はがらんとした空地となっているが、その先に阿陀弥の座像を戴いた文化四年(一八〇七)の三界万霊と刻まれた供養塔が一基置かれている。敷石が敷かれた参道の入口に昭和五年造立になる花崗岩の一ノ鳥居、その先に中島神社と記された額が掲げられている木造の二ノ鳥居、その傍らに三峰神社を祀った木の祠がある。瓦葺格子戸造りの神殿の周りには若干の松や銀杏の木が植えられている。神殿の後ろに瓦葺平家の料亭のような建物があるがここは中島の農民センターである。

 さらにこの道を進むと元荒川沿いの堤防道に合わさるが、この角の篠竹の茂みの下に天正二年(一五七四)銘の釈迦三尊板碑をはじめ、貞享二年(一六八五)の「奉造立庚申誦結願成弁処」と刻まれた庚申供養塔、それに正徳四年(一七一四)の青面金剛庚申塔と宝暦九年(一七五九)の文字庚申塔がほこりをかぶったまま無雑作に置かれている。何とか保存措置を講じたいと願うのは筆者ばかりではなかろう。なおこの手前の工場の裏に墓地があるが、ここはもと正福寺と称された真言宗の寺院跡であるようである。しかしここにはこれといった供養塔や、あまり古い墓石などはみあたらない。

 またこの中島集落をつらぬく道とは別に、昭和橋を渡った対岸の千間堀沿いに通じる小道を行くのもよい。この農道ともとれる小道をたどると、中島の畑地が一面に広がる。ことにこの道に沿った耕地には葱畑が目立つが、ここでは深谷と比肩する良質の葱が産出されているという。もともと中島の地は古利根川と元荒川の合流地点にあたる自然堤防の発達した地で、ほとんどが畑地で占められている。中島の地名も、もとは両川が合流した先の中洲の地であったことから名付けられたものであろう。

 この中島の畑の中の小道を進むと、途中一叢れの雑木林があり、ここに宝暦十年(一七六〇)の青面金剛庚申塔や、文化六年(一八〇九)の水神宮とみられる石祠が建てられている。この辺りはまだ一面に耕地が広がる一角で、のんびり散策を楽しむには恰好の所であるが、この先に養豚場があるのが玉に疵といえよう。またこの養豚場を過ぎるとその先はぼちぼち新興の住宅が建ちはじめている。県道のバス停に近いという影響からでもあろう。千間堀はこの辺りから古利根川に合流するが、合流口までは芦の繁茂する河原をかき分けていかねばならない。道はこの先元荒川に架せられた中島橋となり吉川越谷県道に合わさる。ここから東武バスの停留所は目の前である。

 弥十郎から中島橋までの行程はかなり廻り道や脇道をしているのでその距離は見当がつかないが、直線でおよそ六キロメートル、一寸大へんな道のりであるが越谷の農村情緒を楽しむには一度歩くに価するコースといえよう。

中島神社
中島古道の石塔