恩間新田入口の石塔

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 せんげん台駅から千間堀(新方川)の堤ずたいに上流に向かって行くと、右手は武里団地、左手は千間台区画整理地で、広大な区画地のところどころに住宅や商店が建てられており、新興地の活気が感じとれる。暫く行くと武里団地が終り、春日部市側の新興住宅地となるが、その先は恩間新田の地となる。

 もとは一面の水田地で何の変哲もない一角であったが、この水田地の中に広大な敷地をもった独協大学付属高等学校の建設が進められ、鉄筋五階建の校舎をはじめ幾棟もの校舎が建ちならんでいる。学校の開校にともない周辺の状況も大きく変貌するとみられるが、今のところ学校の周囲は水田に囲まれたままである。やがて千間堀の流れは溝堀のような細流となるが、この千間堀が大きくカーブした地点に一軒の農家がある。その堀に沿った庭先に元文四年(一七三九)の青面金剛庚申塔、年代不詳の石の地蔵尊、弘化二年(一八四五)の「奉納青面金剛」と刻まれた角塔、明治三年(一七六六)と文化十三年(一八一八)の石橋供養塔がトタン屋根の下にならべられている。これには「寛保四年(一七四四)造立の石橋也、右造立近在村々男女助成」と刻まれ、歌が刻まれているが、風化して文字がはげ落ちその歌詞は判読できない。

 おそらくこの供養塔が立てられた橋は千間堀に架せられた石橋で、江戸時代は三野宮、大道などから恩間新田に通じる主要な道であったに違いない。このほか「東かすかべ一リ半、西のじま二十丁、西じおんじ二り」それに手引石と刻まれた嘉永五年(一八五二)の道しるべ塔が立てられており、これにも歌が刻まれているようだがよく判読できない。

恩間新田入口石塔群