西新井石神井神社

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 県道浦和越谷線通り御菜川橋を境に道は岩槻市釣上から越谷市西新井に入る。ここから少し行くと堀割りがある。これは荻島地区耕地の幹線排水路で、昭和八年荻島・新和耕地整理組合により綾瀬川を落とし口として新たに造成された排水路である。この幹線排水路の少し先の右手に小さな墓地がみえるが、ここは浄土宗西教院配下の正覚院と称された庵跡である。入口に屋根付のブロック囲いで享保十四年(一七二九)の六地蔵が納められている。このほか集会所になっている堂舎の前に大きな柱状型の南無阿弥陀仏塔が立てられているが、そこにはお経などの銘文がすきまなく刻まれているもののその建立年代はよく読みとれない。

 ここから交通量のはげしい県道を少し行くと右手の道端に昭和六年建立になる「指定村社石神井神社」と刻まれた花崗岩による柱状型の標識塔がある。参道は舗装されて水田地を貫通している。暫く行くと道に沿って若干の住宅が建っており、すぐにはそれと解りずらいが松や杉の生い茂る一叢れの林がみえる。ここが西新井の鎮守石神井神社である。

 伝えによると当社の創建は天正年間(一五七三~九二)で豊島家の氏神江戸の石神井社を分祠したという。境内手前の松の木の下に嘉永三年(一八五〇)と万延元年(一八六〇)の青面金剛庚申塔が立てられている。またその先のこんもりした杉の木立の中に雑草に覆われた池がある。そこに昭和四年建碑になる御大典記念と刻まれた拝殿改築記念の大きな碑が建てられているが、その碑をみようと林の中に入ると群をなしたしらこばとが羽音も高く飛び立ってどぎもを抜かせる。この林がしらこばとの溜り場になっているのであろう。

 神殿はこの先の水田地を前にした明るい感じの一角にある。境内の入口に明治三年の石の幟立と木の鳥居がありそこに文化十年(一八一三)の御手洗石が置かれている。神殿は拝殿奥殿を具えた銅板葺格子戸造りの荘厳な構えをみせた建築物だが、これは先程の碑銘にみられる通り御大典を記念して昭和四年に再建された建物であろう。また境内の左手には最近建造されたとみえる木の香も新しい三峯・大山・日枝・稲荷・天満宮の五社を合祀した細長い祠堂が建てられている。この祠堂に続いて盛土の小高い丘がある。そこには明治三十九年の凱旋記念碑、明治二十八年の浅間神社記念碑、昭和六年の拝殿新築境内拡張記念碑、それに盤長姫命と浅間大神と刻まれた碑が立てられており、その後ろの木立の下に御杓子殿と神符守札修納殿とある祠堂が建てられている。

 また神殿の右手は近代的な建築による集会所になっているが、その間に大正四年の玉垣敷石奉納記念碑などが立てられている。さらに集会所の裏には四基ほどの法印僧都銘の墓石が置かれているが、ここはもと月照山普門院と称された真言宗の寺院跡である。その堂舎は昭和二十九年に火災で焼失したが、同時に保存されていた古い書類や棟札なども焼失してしまったといわれる。

西新井御菜川の農道
西新井石神井神社鳥居