あとがき

221~222/222ページ

原本の該当ページを見る

本間清利

 昨年九月発刊した「越谷ふるさと散歩(上)」に引き続き、ここに「越谷ふるさと散歩(下)」の刊行をみた。越谷の社寺や旧蹟その他で見落としたり、書き落としたりした個所は少なくないと思われるが、越谷地域のおよその事歴はこの(上)・(下)に収録したつもりである。

 本書作成にあたっての取材作業は昨年、つまり昭和五十四年の秋から、五十五年の春にかけて実施したが、越谷の景観はそれ以前の印象とは比較できないほどの変貌をとげていたのに今更驚かされた。「古きをたずね、新しきを知る」という格言があるが、現在の一年の変化は昔の百年、二百年に相当すると言っても過言ではない。それだけにたとえば新道の造成一つをとってみても、その前後の様相変化は大きく、古きをたずねる術(すべ)はますます困難になるものと予想される。

 したがって本書の記事が、暫く経過するとすでに陳腐(ちんぷ)な内容になっていることもありうることで、必ずしも本書がそのまま後世にあてはまる手引書として用いられるとは限らない。しかし先人の残した数々の文化遺産とともに、今迄に知り得た範囲の古事来歴を織りこみながら、現時点における越谷の状況を記録にとどめておくことは、後世さらに変貌した越谷の状態との比較のうえで、昔を考えるうえでの参考になるものと思われる。

 すでに越谷には江戸時代、福井猷貞や江沢昭鳳により、「越ヶ谷瓜(うり)の蔓(つる)」「大沢猫の爪(つめ)」「大沢町古馬(こば)筥(ばこ)(『越谷市史』史料(二)所収)など、また大正期には大塚文男によって「越ヶ谷案内」(前掲書史料(三)所収)などのすぐれた地誌類が著述されており、これらがどれだけ当時の越谷の概況を知らせてくれているか、その恩恵は、はかり知れないものがある。

 だからといってもちろん本書がすぐれた先人の業蹟をふまえ、後世に役立つものであるとは、さらに思ってはいないが、本書に刺激され今後このような試みが別な角度からでも適確に記録にとどめてくれるような研究者の出現を待ち望みたい。

 なお今さら言うまでもないことだが、ふるさと意識はまず私達が生活している町が、どのような町であるか、その特殊性やその移り変りを知ることから芽生える。そこから自(おのず)から住民としての誇りや愛着が感じとられると考えられるが、同時に先人が営々として築きあげてきた歴史ある町を、よりよい町にせねばならないという自覚がともなってくると信じられる。よい町づくりよい人づくりが歴史ある越谷の誇りを持続させる条件であるのは論をまたないからである。

 終りにつたない本書ながら越谷を愛する多くの人びとの越谷案内の参考の一助に利用していただければ幸いである。もし事情が許せばこのふるさと散歩を隣接周辺の地まで広げこれを紹介したいとも思っている。