川柳地区

69~70/204ページ

原本の該当ページを見る

川柳村

川柳村は明治二十二年四月、伊原・麦塚(むぎづか)・柿ノ木・青柳(あおやぎ)の四か村が合併してできた村です。新村名は柿ノ木の「カ」伊原の「ハ」青柳の「ヤ」麦塚の「ギ」をとって「カハヤギ」としたともいわれますが、実際(じっさい)は「カワヤナギ」と呼んでいます。その後、川柳村は昭和三十年の八月に草加町と合併しましたが、この川柳村のうちの麦塚・伊原・上谷が同年十一月境界(きょうかい)を変更(へんこう)して越谷町に編入(へんにゅう)されました。この地域は古綾瀬川や東京葛西用水・八条用水にそった所ですが、その昔、利根川などが乱流(らんりゅう)していた地で、砂地の所も少なくありません。

麦塚・伊原

麦塚(現川柳町その他)は、越谷市の南端にあたります。地名のおこりは砂地が「ムキ」出しになっている所に塚があったため「ムキヅカ」といいましたが、それがムギヅカ」になったようです。ここには樟子(しょうじ)山・笹塚・川端・根郷・東戸部・道沼(どうぬま)・蔵屋敷などの小名があります。このうち樟子山の「ショウ」は小(しょう)ともとられ、ちいさい丘(おか)の地からこのように呼ばれたとみられます。また蔵屋敷は、もとここに米を貯(たく)わえておく蔵があったからでしょう。

伊原は、伊原本田と伊原新田とに分かれています。このうち伊原新田は古綾瀬川と東京葛西用水にそった地です。地名は「イバル」すなわち威をはるといって、新しく開発された土地を自分の土地であると主張(しゅちょう)することからおこった名ともみられています。ここには鎌田・前谷・東裏・大角(だいかく)屋敷などの小名があります。このうち大角屋敷は、もと大角という有力な農民がここに住んでいたことから、このような小名がつけられたのかもしれません。

以上越谷の主な地名を一とおりみてきましたが、これらはかならずしも正しい地名の解説(かいせつ)であるとは限りません。あくまでも参考(さんこう)としてのべたもので、今後皆さんが現地(げんち)をよくしらべ、より正しい地名のおこりを発見されることをのぞんでいます。

麦塚の八条用水