かしこい犬のはなし

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今からおよそ一九〇年ほど前の、寛政七年(一七九五)という年に書かれた『潭海(たんかい)』という本のなかに、越谷の金剛寺(こんごうじ)(じつは岩槻市末田の金剛院のこと)で飼(か)っていた、二匹のかしこい白犬の話が記されています。

すなわち「越谷の金剛寺の住職が、江戸の本所(現墨田区本所)にある本寺(支配寺)に手紙を出すときは、小さいときから飼(か)っていた二匹の白犬のうち、一匹の犬の首に手紙を結(むす)びつけ、もう一匹の犬の首に二〇〇文を入れた銭ぶくろを結びつけて、使いに出しました。すると四時間ほどで用をたして帰ってきました。この使いにだす前の日には〝明日は江戸へ用をたしに行ってくるんだよ〟とよく犬にいいきかせました。

当日の朝、金剛寺では、二升(しょう)の飯(めし)をたいて犬にあたえるのが例でした。犬はこれを食べおえると、一もくさんに本寺に向(む)かって走りました。本寺につくと、本寺でもさっそく飯をたいて犬にあたえます。そして犬が飯を食べている間に返事を書いて、また犬の首に手紙を結びつけます。すると犬はもときた道を、また一もくさんに走って帰ります。この途中、蒲生の酒屋に立ちよります。酒屋の主人は、この犬をみると一匹の犬の首に結んでいた二〇〇文の銭をうけとり、そのかわり二升の飯をたいてあたえました。こうしてながい間、金剛寺と本所との間を往復する二匹の白犬のお使いが、人びとの目をひいていましたが、そのうち犬の姿がみえなくなりました。ある人の話では、先ごろ犬は二匹とも死んだといいますが、かしこい犬だったと、今では江戸でもたいへんひょうばんになっているということです」。

これが『潭海』のなかに記されているかしこい犬の話のあらましです。使いにでたときはなんども大飯を食べる犬ですが、越谷から本所まで四時間で往復(おうふく)する足のはやい犬、しかもよそ道をしないで正確にお使いをはたすかしこい犬、このような犬なら飼ってみたい気がしますね。

末田金剛院