光明院の塩かけ地蔵

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今は病気にかかると、すぐお医者さんにみてもらって治療(ちりょう)をうけますが、昔はよほどの重い病気でなければお医者さんにみてもらうことはありませんでした。お医者さんが少なかったし、またお金をたくさん必要としたからです。それで病気になったときは、日ごろ信心している神さまや仏さまにおまいりして病気がよくなるようにお祈りしました。なかでもお地蔵さんは、子供を救(すく)う仏(ほとけ)さまと信じられていましたので、子供が病気になったときは、お地蔵さんにお参りして、病気がなおるよう一心にお願いしました。

このお地蔵さんの一つに、大沢光明院境内に祀(まつ)られている石の地蔵さんがあります。この地蔵さんは、みんなの願いごとをよくかなえてくれる仏さまとして、とくに信仰を集めていました。そしてお願いした子供の病気がなおったときは、そのお礼として、頭から塩をふりかけるならわしでしたので、人びとは、この地蔵を「塩かけ地蔵」と呼んでたいそう親しんできました。

こうして光明院の地蔵さんは、長い間たえまなく塩をかけられていましたが、このため石の地蔵さんは塩によってとかされ、その形さえわからなくなってしまいました。それでも地蔵さんは、たくさんの子供たちの苦しみや、親の悲しみを救ったために、このような姿になったのだと、むしろ自分の姿に満足しているようにみえます。

今からおよそ二九〇年前の、元禄年間に、このお地蔵さんに「石どうろう」が奉納されていたといわれますので、たいそう古い地蔵さんであったことがわかります。

また新方地区の川崎(北川崎)に、太子山聖徳寺というお寺があります。このお寺に通じる参道の中ほどにも、同じく「塩地蔵」と呼ばれる石の地蔵さんが祠(ほこら)の中に納められています。この地蔵は岩塩(がんえん)でつくられた地蔵だといわれ、雨がしとしと降り続く梅雨(つゆ)の季節には、お地蔵さんの表面に塩がふき出て、体が白くなるともいわれています。

このお地蔵さんは安産や子育てにたいへんききめがあるといわれ、地蔵の縁日には今でも参拝者でにぎわっています。

昔はいろいろなつごうで、あまり医者にかかれなかったので、病気などのときはどうしても神さまや仏さまにお願いすることが多かったのです。でも今では、神さまや仏さまに病気がよくなり健康(けんこう)であるようにと、お願いする人は少なくなったようです。そのかわり学校の入学試験(しけん)に合格できますようにと、学問の神様である天満神社などにお参りする人がたいそうふえています。

光明院の塩かけ地蔵