一二 元禄十年七月 丹頂鶴保護注進請書

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(『触書上』市史編さん室蔵)

    指上申一札之事

去子春越ヶ谷領大間野村沼へ御放し之丹頂御鶴、何領へ飛行又ハ飛戻り申候共其領内ニ而番仕、八日目/\ニ寄合御番幸田孫助様・海野三右衛門様江申上筈ニ被仰付候所ニ、右御注進之儀向後ハ岡田甚右衛門様へ御注進可仕旨被仰渡奉畏候、尤先達而被仰付候通御鶴番人とも弥念を入少も麁末ニ不仕候様ニ、村〻名主百姓へ急度申聞セ相守可申候、若番人無沙汰ニ仕候而御注進等延引仕候ハゝ番并其村名主年寄ハ不及申拙者共迄何様之曲事ニも可被仰付候、為其一札指上申候、仍而

如件

              【八条領】

  元禄十丑七月八日      伊原村 七郎兵衛

                立堀村 源右衛門

右証文御用本衆指上ケ被申候由、披見之上承知仕候、急度相守可申候、以上

  七月十日          村〻百姓惣連印