一七 天明八年四月 巡見使通行道筋等覚書

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(『触書下』市史編さん室蔵)

御巡見御方

  御勘定  安喰勝五郎様

  支配勘定 久下金兵衛様

  御徒目付 高木幸治郎様

       御代官布施弥一郎様手代

             杉浦専蔵様御案内

右之御方四月廿二日江戸出立ニ而、板橋へ被成御越夫ゟ駒込上野浅草辺御廻り被成候而、千住宿御泊り被成候間千住宿御泊り、廿三日瀬崎村中喰蒲生村継立大沢宿御泊り、廿四日当村葛西土手御通被成伊原継立、立之堀村・伊草村・松ノ木村・小作田村右四ヶ村継立、小作田村ニ而中喰夫ゟ大谷田村継立新宿御泊り、同廿五日東葛西行徳町御泊り松戸御泊り、右之通り御座候間奥印申候、以上

  【天明八年】申四月廿五日

   右御方ヘ

一村方高免御願之事

一溜井差配之願之事

一西ヶ尻悪水落之事

 右願仕候、以上

            西方村

               名主 平内

               同  茂右衛門

               年寄 伝右衛門

               同  山治郎