三二 寛政二年十一月 伊奈家臣連印諌言書

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(大川戸杉浦家蔵)

大殿様御儀近年如何之 思召ニ御座候哉、御不行跡之趣寄〻承知仕、且又世間取沙汰茂以之外ニ御座候、当時は 公儀専右体之儀御隠密御糺茂有之、既当秋中ゟ御支配所中所〻ニ而其筋之儀及見聞候趣取沙汰申聞候族茂在之、随而は江戸中風聞糺茂可有之、隠密人被指出候御方様江は最早是迄ニ流通有之候哉与奉存候得は、一統心中恐怖仕、万一右之振合ゟ事発表向御沙汰ニ相成候而は 御身之上は不及申上 御家迄茂疵付候様可被成儀、左候時は御忠孝之道茂不相立 御代〻ニ無之御不行蹟ニ而、被為蒙御恥辱候御儀、何共悲歎無此上茂儀ニ可有御座候、御家中大勢之者共多分内実之所は君臣和合無之 殿様御言行御不同之儀を歎永久之安堵無之、只今日〻〻之所凌勤ニ仕罷在、実真之者は不相見候、然上は大前之御役筋主従合体無御座御下知ニ茂帰腹不仕御取計被為御行届兼候而は極而何事歟出来御後悔無御詮筋ニ成行可申哉、彼是考合候程御安堵之儀は相見不申御危難之程難計奉存候、且又御預金之儀茂御願通不相済ニおいてハ御役ニ被為替候而茂強而願可被遊 思召之由承知仕候、右体之 思召は御自讃之節ニ相当却而御首尾合を被為失候筋ニ可成行哉、第一御不敬之筋ニ乍恐奉存候、既 御先〻代 御先代御拝借金御預金御願被遊候節茂、御役無滞御相続被遊 公儀御大恩被為報度思召候旨之御趣意専之被仰立ニ而、御願御成就被遊候御儀ニ御座候之処 御入国以前ゟ 御当代迄御数代御相続被遊、御当地之儀は不及申日本国中江響候御役筋御一己之 思召ニ而、容易ニ可被辞との御儀 公儀江被為対候而は御不敬御不忠之筋ニ相当 御家ニ被為対候而は 御先祖様方江御不孝之筋ニ相当、御忠孝丸ニ御欠被遊候而は 御身分之御為ニ可相成様 決而無御座 御家御危難之基、且又弥御役御免被為蒙 仰候筋ニ相成候而は  御代〻之御勲功茂廃レ、自ラ大勢之御家来御扶助茂難被成得は、君臣御慈恵之思召茂無之筋、左候時は誠ニ御由緒有之 御旧家、御廃家之姿ニ可被成候、此儀は御聡明之 殿様最初ゟ御心得被遊候御儀ニ御座候之処、当時之御不行跡ニ被為及候御儀は何共難解、仏神御心願之御過度ゟ御迷被遊候御儀ニ茂御座候哉、是等御諫言可被仰上は御家老役御持前ニ御座候得は、極而各様歴然之御取計格別之御手段茂可有御座御儀与挙而其御沙汰而已朝暮伺見候得共聊茂御心配之御様子相見不申、諸事 御意次第之御取計故次第ニ御長過被遊世評共難相済  御家之御為難黙止無是非此段申上候、当時之御振合 御上向江之御響ニ相成候而ハ、御取直方茂御座有間鋪哉ニ奉存候得は此上時節後候而は縦 御改心被遊候共其御甲斐無之、迚茂届申間鋪御儀、何分共急速ニ御改心黒白を被為分候様、御老臣御役之儀急度被仰上御座候仕度、此段一同頻而幾重ニ茂御賢慮之所奉願候、若又被仰候上無御取用御等閑之御儀ニ茂御座候ハゝ、不及是非各様御手を離勘弁仕候外無御座候、

一永田半太夫殿事 公儀ゟ之御沙汰之由ニ而赤山江被遣逼塞被 仰付置候、右御答之筋如何様之御儀ニ御座候哉、御打出諸人茂存知候上之事ニ候ハゝ御尤ニ可奉存候得共、其儀無御座子細不和分候儀候得は 上之御不行跡被為長候ニ付而は、全御我意之御取計ニ茂可有之哉と一統奉考察儀ニ御座候、御家中何茂御譜代与申内三州以来代〻御家老役被勤候旧家之儀、其上 御家御危難之節格別之忠節を被尽、度〻無比類大功有之候所無其詮、却而右之通長く押込被指置候段は如何ニ有之、且御養子被為入候節之一件半太夫殿専精心を入被取計御事成候儀は、御藩中不存者茂無御座候、其所茂被為 思召附御憐慈被為懸方茂可有御座候処、及極老候身分右之通被成置候段は 殿様人情ニ御外レ被遊御不実之至と取沙汰仕、旁御心外成御儀奉存候、最早年数茂相立候儀、父子共逼塞 御免被 仰付御座候様一統奉願候、左候得は全君臣和合之基ニ相成 御家之御為与奉存候ニ付、此儀茂頻而奉願候、

右之趣は至而不軽御儀ニ付申上候段は奉恐入候得共、万代之家は一代ニ難替理合君臣共専心を用可慎之第一ニ有之、此御時節柄御故障之儀茂無御座上下無事ニ而此上不請他評様仕度、随而は各様御持前之儀ニ御座候得は、御諫言被仰上、御用無御座候ハゝ頻而被及強諫幾重ニ茂御改心被為在、隠便ニ相治候様仕度身命を抛一統奉願候、何分可然様御取計之儀奉願候、以上

  寛政二年戌十一月     大河内与右衛門(印)

               杉浦五太夫(印)

               志村太兵衛(印)

               石塚八郎太夫(印)

               安川三郎次(印)

               高橋伝蔵(印)

               萩原猪左衛門(印)

               森藤太夫(印)

               小川団右衛門(印)

               田中左右馬(印)

               岡本宗左衛門(印)

               横井勘治(印)

               遠山要蔵(印)

               森新助(印)

               杉浦五郎右衛門(印)

               土屋宗助(印)

               青木惣八郎(印)

               永田大八(印)

               佐竹万蔵(印)

               吉井一郎右衛門(印)

               浅見七兵衛(印)

               古川次郎右衛門(印)

               豊嶋政右衛門(印)

               木村藤四郎(印)

               夏目小太夫(印)

               志村英蔵(印)

               峯岸吉平(印)

               平嶋大兵衛(印)

               萩原次右衛門(印)

               中村彦右衛門(印)

               古川弥七(印)

               大塚茂右衛門(印)

               中村仲吾(印)

               平野九蔵(印)

               鈴木左太夫(印)

               鈴木庄右衛門(印)

               伊藤恒蔵(印)

               会田七左衛門(印)

               会田孫七(印)

               押田弥八(印)

               古川弥平次(印)

               櫛田幸四郎(印)

               横山蔀(印)

               野村藤介(印)

               八田友太夫(印)

               近藤彦太夫(印)

               今井重次郎(印)

               近藤一左衛門(印)

               加藤治郎太夫(印)

               新井久三郎(印)

               夏目善太夫(印)

               原左一右衛門(印)

               小崎八右衛門(印)

               金子新八(印)

  「富田吉右衛門殿

   田口勘兵衛殿

   新井孫兵衛殿

   大河内与兵衛殿

   田口弥左衛門殿」

〔註〕宛名ハ同文別紙写ニテ補ウ。

   ナオ右ノ写ノ写ニ「戌十一月十六日差出候願書写」トアリ。