三四 寛政二年十一月 永田半太夫父子宛伊奈家臣書付写

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(大川戸杉浦家蔵)

   戌十一月廿七日赤山ニ罷在候永田半太夫父子江

   差出候書付写

此度 御当家御危難之儀ニ付、無拠私共一同相談之上別紙之通書付を以当時御勤被成候御年寄衆中江奉願候処、是迄何之御尋等茂無御座候処、昨廿六日別紙之通被 仰渡候、是迄一切巨細之御尋茂無御座猶亦此度被仰渡ニ茂何〻与申候訳茂無之、別紙之通被仰渡候上は此度願之者共趣意茂相立不申、御当家無御相違御相続之所甚無覚束奉存候ニ付、一両日中桜田様江一同罷出奉願上候覚悟ニ御座候、万一 桜田様ニ而御聞請茂不宜候得は猶其上ニ茂取存御座候、右は奉対 御上江候大儀ニ御座候得は、私共何様被 仰付候茂難計奉存候、万一私共身分強御咎ニ茂御座候得は、御危難を奉救候儀茂相成不申其中従 公儀御沙汰ニ而茂御座候得は、甚残念之至ニ奉存候間私共身分働方出来不申候節は、何分 御家之御危難御救被下候様仕度奉存候、依之別紙願書写壱通被仰渡書一通差上申候、右書付共得与御披見被成下万一私共身分働方出来不申候節は、宜御取計被成下 御家御無難ニ御相続御座候様之御取計を偏ニ奉願候[ ]【虫喰】には被成御座候得共 御家御太切之御儀ニ付、右之段申上置候、以上

 寛政二年戌十一月     平野九蔵

              田中左右馬

              八田友太夫

              永田大八

              萩原猪左衛門

              加藤次郎太夫

              会田七左衛門

              杉浦五郎右衛門

              石塚八郎太夫

              大河内与右衛門

              杉浦五太夫

永田半太夫殿

永田九郎兵衛殿