六五 元禄八年六月 検地に付議定

187~188/1009ページ

原本の該当ページを見る

(長嶋内山家蔵)

  相定申連判手形之事

一此度御検地入申ニ付、諸事相定置已来出入六ヶ敷一切仕間敷候連判之事

一分ケ地之者共先年田地可持分、当分ニ分ケ持申候得共、其已後山おたおし又ハ堀おうめ田畠普請等仕候者ハ、田畠之高茂少分多可有御座、其上上中下三段之儀も其場ニより田畠過不足ハ及申、上中下過不足御座候共互之田地持高ヲ以御年貢諸役上納相勤可申候、為其面〻御検地名付申候ヘハ何ニ而も申分無御座候事

一先年田畠替地等又ハ何様之儀ニ而田地入合申候へ而、諸役ニ出入御座候共、此度之御検地之上ハ面〻田地持高を以諸役相勤可申候、縦毎〻何様之相定之証文等御座候共ほんくニ致、新御検地高ヲ以諸事相勤可申候、永〻出入申分無御座候事

一古水帳ニ長右衛門と名付申候田地貴様御所持ニ而、市兵衛ヲ当分定夫給分として田畠御預ケ、残田畠五郎右衛門・三郎兵衛と名付被成候、右之田地高三分共ニ先年之通り壱冠ニ致、先規之通り歩銭面懸村遣等に納、六尺給其外百姓可勤人足諸色是ヲ除キ、其外高割百石壱分御年貢之入目等先規之通り、右之田地所持之五郎右衛門、三郎兵衛出し申定ニ御座候事

一市兵衛給分之田畠市兵衛と名付申候預ケ置申候、已来定夫不致候時分六郎右衛門殿田地屋敷急度相返し、立のき可申候、為其市兵衛判形仕候事

一市兵衛と名付申候田畠屋敷御年貢外ニ入目等ハ、四分一三郎兵衛、四分三五郎右衛門出し可申候事、

右之通り此度之御検地めいめい之儀ニ御座候へハ、田地持高上中下御年貢諸役何ニ而も上納可仕候、ケ条書連判仕候上ハ、相定之儀我〻ハ不及申子〻孫〻迄永〻六ヶ敷申間敷候、名主百姓不残互之相談之上如此ニ御座候、為後日仍如件、

 元禄八年亥ノ六月五日      平右衛門(印)

                 安兵衛(印)

                 八郎兵衛(印)

                 【外一三名連印略】